日本の万葉集は郷歌だった

AIでは解読できない「歌で書いた歴史」
日付: 2026年01月01日 00時00分

 本紙は2023年2月、日本最古の詩歌集である万葉集が、夷族(=東夷族)によって数千年間継承されてきた郷歌と同じ方法で作られた歌であることを究明した、古代文字解読家の金永會氏の業績を紹介、この世紀的発見を広く知らせ、広範な検証と討論を通じて万葉集の研究を支援したいとの趣旨から連載を始めた。去る1年10カ月間、金永會氏が鄕歌創作法で解読した万葉集の歌65曲(首)を紹介した。万葉集の解読が難しいのは、漢字の意味と音を借りて作った(表記した)郷歌と万葉集は、それぞれ古代韓半島語順と古代日本列島語順で記録されたうえ、特に古代人(夷族)の宗教観や生活風習などを知らねば解読できないことだ。つまり解読するためには創作法や設計図が必要だったのだ。

郷歌制作法が解読の鍵

千年超しの秘密、世紀的発見

 韓半島に25首が残っている郷歌全曲(新羅郷歌14曲、高麗郷歌11曲)の解読を試みた人物は小倉進平(京成大学教授、朝鮮総督府)だった。彼は1929年、韓国古典文学の研究である『鄕歌および吏讀の研究』、44年には『朝鮮語方言の研究』を出版した。郷歌の特徴である郷札と日本の万葉仮名が似ていると関心を持っていたようだ。小倉進平の研究に基づき多くの人が完全な解読を試みたが誰も成功しなかった。
ところが、40年以上鄕歌を研究してきた金永會(東国大学世界仏教学研究所郷歌万葉集研究室長)氏が6年前に郷歌の解読に成功した。彼は郷歌の研究と解読結果をまとめて発表した。彼は、韓半島に残っている郷歌を全部解読した後、偶然に韓半島と古代の表記法を共有する万葉集の解読に郷歌の制作法を適用してみた結果、驚くべきことに郷歌と万葉集が同じ制作法で作られた歌であることを見つけた。
金永會氏はこのことを『日本の万葉集は郷歌だった』(ブックラップ社、2021年4月19日出版、452ページ、写真)を通じて発表した。
彼は、新羅郷歌の創作法がそのまま「万葉集の設計図」であると主張、この解読法で万葉集の第1巻の84首と、日本書紀の中の天皇の歌9首を解読した結果を『日本の万葉集は郷歌だった』に収録、公開した。金永會氏は、国際学術大会にもこれを発表したが、古代韓半島語や古代日本列島語などに関する知識が不十分なせいか、まだ反応がない。
万葉集は7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された日本最古の和歌集で、多くの学者の長年の研究を通じて現代語に解釈されてきたが、万葉集の難解な構造を把握し、解読・解釈するのに失敗した。特に千年以上も苦労、努力してきた万葉仮名の解釈にも成功しなかった。
一部の韓国学者たちも以前から万葉集の難解な部分が古代韓国語、特に新羅郷歌の制作方式と似ている吏読式の表記法をもって解読できると主張、解読を試みてきた。要するに、長い年月の努力にもかかわらず、万葉集が明確に解読されない理由は極めて単純だ。制作法が分からないから解読できないのだ。

なぜ新たな発見が検証されないか

古代文明伝播の謎を辿る

 金永會氏が万葉集の解読方法や解読の決定的鍵に関して詳細に公開したのに、検証に挑戦する動きがないことは、万葉集(郷歌)の解読が、単純な古代語(古代文字)の解読を越える別の研究と知識の融合が必要な問題であることを物語る。
『日本の万葉集は郷歌だった』の内容を要約すれば、万葉集は、韓半島から渡ってきた渡来人たちが、天皇家を中心に作った郷歌だったということ。万葉集の第1巻は特に「壬申の乱」後の天智天皇系と天武天皇系の葛藤、対立を見せる歌が収録されていること、自分が産んだ子どもを後継者にしたいとの執念を持った持統天皇(鸕野讚良)が願い事を叶えてくれる「万葉の神様」力に頼る歌を作らせるなどを見れば、第1巻はまさに「歌で書いた歴史」であることを実感し認めざるを得ない。
いずれにせよ、万葉集は、西暦759年に大伴家持が4516番歌を作った後、郷歌(万葉集)創作法が忘れられてしまい、その後の日本人は万葉(郷歌)の創作と解読ができなくなったという。特に古代韓半島の言語構造に接し学べなかった人々にとっては、解読は試みすら難しい。おそらくAIには不可能な領域であろう。
これまで万葉集に関する数多くの研究とその結果は、歌そのものが完全に解読されなかった状態で行われた。それを勘案すれば、全面的な見直しが必要かも知れない。そして、万葉集を生んだ古代の歌と表記手段がどこから起源し、どう日本列島に伝播されたのかを究明することが、古代文明に対する望ましい姿勢ではないかと思われる。

甲骨文字が語る古代文明の秘密

中国政府が消そうとする歴史の真実

 中原に住んだ華夏族(韓族)をはじめ漢族と呼ばれる民族だけでなく、韓半島、日本列島、ベトナムなど東アジアの諸民族は古くから漢字を共通の表記手段として使用してきた。漢族が使う文字という意味で漢字と呼び始めたのは19世紀のことだ。中国という国名はそれより遅い20世紀に初めて歴史に登場した。普通の人々は、近代の教育、教科書に叙述されればそれを信じ自ら研究し求めないのが現代社会だ。古文献や特に歴史記録は筆者による歪曲は当然だ。
例えば、中国歴史書の代表として挙げられる司馬遷の『史記』も、歴史記述がどれほど偏向的で歪曲されたのか考古学的研究を通じて続々と確認される。古代史に関する文献は考古学など科学的検証が必ず並行されねばならない。誤った教科書、偏った知識は文明の発展に有害と言えよう。
漢族の漢語を表記するから漢字と呼ぶようになったが、実は漢字を発明したのは漢族ではない。漢字の根源が象形文字である甲骨文字に由来するのは周知の事実だ。もちろん、甲骨文字の前も東アジアに表記手段はあったし、今も考古学的発掘などを通じて新しい事実が明らかになりつつある。
甲骨文字が現在の漢字へと変化(進化)する過程を、説文解字は概ね、甲骨文↓金文↓小篆↓楷書と説明する。考古学的発掘によると、東アジアで甲骨文字以前は卜骨↓骨刻文↓陶文↓甲骨文字の時代があったことが分かる。卜骨は韓半島と日本列島の新石器時代遺跡から大量出土された。
甲骨文字は、商(殷)時代にさかのぼる。甲骨文字は1899年に発見され、国民党政府の歴史言語研究所が殷墟遺跡地を発掘(1928年~37年)して以来、今も研究が続いている。甲骨文字は華夏族ではなく、夷族(=東夷族)が作ったものと判明される。つまり、文明史の代表的な表意文字である甲骨文字と代表的な表音文字であるハングル(訓民正音)が共に夷族の発明だ。陶文も甲骨文字より千年まえに東夷族が住んでいた大陸の東部海岸を中心に出土。歴史上、中原に登場、支配した王朝たちの中で漢語を使った王朝は、周、漢、宋、明のみで、残りの商(殷)、秦、唐、元、清、遼、金は夷族か夷族に近い民族だ。問題は、非漢族の王朝らは、漢族の言語を使って自らのアイデンティティーを喪失、言語的にも同化された。中国が現在、進める「歴史工程」は不都合な史実を消すためだ。
日本が神話の物語とした古朝鮮も紅山文化を作った古代王朝であることが考古学で分かった。古朝鮮の陶文が千余年を経て甲骨文字に進化したことも考古学の研究で判明された。司馬遷は故意に華夏族中心に歴史を歪曲し『史記』を書いた。
本紙の万葉集連載を読んでくださった読者に感謝する。万葉集の話は連載後に整理、補完し単行本として出版する予定だ。

商(殷)の甲骨文字が完璧に刻まれた世界的な宝である帝辛(紂王)「紅陶罐」は中国で購入した韓国人が所蔵

 

 

 

 


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