金永會の万葉集イヤギ 第73回

夢の歌飛鳥川は流れる(万葉集第78、79、80番歌)   
日付: 2025年12月02日 10時49分

 私は古代を辿る旅人だった。万葉集の一冊を手に、静かに流れる飛鳥川の辺りを巡っている。

1300年前にこの地を生きた、鸕野讚良皇女と阿閇皇女という二人の女人が歩いた道を辿っている。
私は万葉集の中で二人の女人に出会った。これから語る彼女たちの話は天武天皇の崩御から始まる。天武天皇は妻の鸕野讚良と息子の草壁皇子を残しあの世へ発った。
だが数年後、息子の草壁皇子が皇位を継げず夭折した。皇位を継ぐべきだったのに。
草壁皇子は息子の軽(後の文武天皇)を残したが、皇位を継ぐにはあまりにも幼かった。祖母の鸕野讚良が軽に代わって自らが皇位を継ぐことにした。持統天皇だった。
飛鳥の淨御原宮で国を治めていた持統天皇は新しい都へ遷都を望んだ。
淨御原宮は彼女と夫の思い出が詰まったところだったから、そこを離れ他の所に移ることは決して簡単ではない決心だったはずだ。
新しい都の藤原京が西紀694年完成した。
古代の「夢の都」の飛鳥は、彼女が去った後、人々の記憶から消えていく。

飛鳥の淨御原宮は持統天皇が都を後にする際、焼かれた。
持統天皇が、淨御原宮が息子の草壁皇子を守れなかったのに対して責任を問ったのだ。それが万葉時代の人々が持つ信心だった。
持統天皇は藤原京へ遷都した後、孫の軽皇子に譲位した。上皇として亡くなるまで孫を庇保した。
文武天皇の本当の治世が始まったが、数年後に恐ろしいことが起きた。鸕野讚良皇女の息子の草壁皇子が母の先に夭折したように、阿閇皇女の息子の文武天皇が母の先に崩御したのだ。

阿閇は、姉だった鸕野讚良がやったことをそのまま真似していた。事が偶然そうなったのではなく、意図的に姉が歩んだ道を同じく選んだはずだ。
文武天皇は首皇子(後の聖武天皇)を残して死亡した。阿閇は鸕野讚良がそうしたように、幼い孫に代わって自ら天皇に即位することにした。元明天皇だ。
そして新しい都の平城京を建てて遷都する。ここまでは、鸕野讚良と阿閇の姉妹の物事の処理がデカルコマニのように同じだ。

ただ、阿閇は一つが違った。持統天皇は藤原京へ遷都しながら、それまで住んできた飛鳥の淨御原宮を廃棄した。
だが、元明天皇は藤原京を焼き払わなかった。そのまま保存してよく管理するようにした。
平城京へ遷都したのは西紀710年だった。遷都の行幸の途中、元明天皇は長屋野という所に至ったとき、輿を止めた。丘の上から古い都の飛鳥の淨御原宮を遠望した。
その場で今日、私たちが解読する78番歌が作られる。

夢の歌飛鳥川は流れる(万葉集第78、79、80番歌)             <続く>


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