韓国教育財団碧夆奨学生として、シカゴ大学ロースクールを修了。在学中に米市民権法委員会でのヘイトクライム法制の調査・研究などに携わり、国際人権問題への取り組みをライフワークと定める。
その後、韓国、台湾などで人権問題や環境問題に取り組む。韓国では、非政府組織(NGO)の活動に携わりながら、韓国企業が東南アジアに進出した際の人権問題・環境問題への対応について研究した。
現在は世界の環境問題に取り組むFILE財団のアジア担当弁護士として、日本を拠点に、気候変動問題の解決に向けて、法律の専門家としての立場で関わっている。
父親は日本初の外国籍の弁護士となった金敬得氏。在日同胞年金訴訟、指紋捺印撤廃訴訟など、在日韓国人の人権のために戦った。
幼いころの父との思い出を、「長野県の松代大本営跡など、各地で開かれた集会に連れて行かれた。意味は理解できなかったが、普段忙しい父と過ごした楽しい思い出となった」と振り返る。
学者を目指していた時期もあったが、2005年に父が亡くなると司法試験の勉強に専念し、翌年合格する。
司法研修終了後の08年から12年まで、4大法律事務所の一角を占める森・濱田松本法律事務所に所属する。
「社会運動には意義があるが、民事などで食い扶持を稼ぐ仕事を並行せざるをえないことに矛盾を感じていた。ボランティアとして人権活動を行う弁護士のモデルには魅力を感じなかった」と父とは違う、日本企業のアジア進出や海外企業の日本進出支援を手掛ける企業法務を専門とした。
のちに企業法務の研鑽を積むため、シカゴ大学ロースクールLLM(法学修士)課程へ留学。しかし特定の人種や民族などを標的に侮辱し、敵意を煽るヘイトスピーチが留学中に社会問題となり、人権問題に関心を持つようになる。
人権問題に専念するためのキャリアチェンジを決め、同課程修了後、JD(法学博士)課程に進学する。
弁護士として勤務したときの蓄えがあったが、JD課程の3年目で学資が尽きることが予想された。
そんなとき碧〓奨学基金のことを知り、応募したところ採用され、3学年次に支給を受けることになった。
「ありがたかった。家族に金銭的負担をかけずにすみ、勉強を続けられるので、ほっとした」
ロースクールでは、米国の憲法や国際人権法を中心に学んだ。多民族が暮らす米国はヘイトクライム法制をはじめ、反差別に関する法規制の整備が進んでいる。一方で、日本とは比べものにならない数の差別的動機に基づく犯罪が発生している。
留学中は、国際人権法クリニックで、イリノイ州のヘイトクライムに関する法制度、運用、政策などを研究し、調査レポートをまとめた。研究結果は日本語の書籍でも紹介している。その他、14年の国連人種差別撤廃委員会による日本政府の審査のため、在日コリアン弁護士協会の一員としてレポートを作成し、スイス・ジュネーブで同委員会の委員に追加の情報提供を行うといった活動も経験した。
一方で、留学中の同級生とシカゴの地元プロ野球チームのカブスやホワイトソックスの試合を観戦するなど楽しい思い出も得られた。
ロースクール修了後は、国連人権高等弁務官事務所、認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ、オープンソサエティ財団などの団体で勤務し、人権や環境問題に取り組んでいる。
「生まれてきた人すべてが差別されることなく、自己実現ができる世の中を目指したい。日本に限らず、東アジア各国が協力することで人権状況が改善され、地域の平和と繁栄に関わりたい」と今後の人生の目標を語る。
金昌浩(キム・チャンホ) 1984年生まれ。東京都出身。在日韓国人3世。東京大学法学部卒。森・濱田松本法律事務所で企業法務に取り組む。韓国教育財団・碧夆奨学生として2015年シカゴ大学ロースクール修了。認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ、法務法人太平洋(韓国)、オープンソサエティ財団などを経て、24年10月からFILE財団アジア担当弁護士。