李薫の「家族の肖像」 第12回

四天王寺ワッソの総監督、 父:李勝載 (3)
日付: 2025年08月01日 02時01分

父と夜のダイニングテーブル

 朝食と夕食のダイニングルームは祖父の冒険談や生きた現代史のレクチャールームで、それは楽しく賑やかな空間だった。

夜中のダイニングルームはいつも嘘のように静かだった。勉強の合間にコーヒーを淹れにダイニングルームに行くと、帰宅して一息ついている父と時々出くわした。タバコをゆっくりと吹かし、水割りの入ったグラスをくるくると回す。中の氷がカランカランと鳴った。バレンタインが好きだった。

階段を降りていく時、ダイニングの方から何か音が聞こえてくると、それは父がいるというサインであり、心が躍った。

父の話は、祖父の話のようにジェットコースターみたいに上がったり下がったり、ぐるっと回ってハラハラドキドキという話ではなかった。乾いたスポンジに水が静かに確実に行き渡り浸みていく、そういう感じだった。父の低く、穏やかなトーン。言葉の一つ一つに嫌味のない知的スパイスがいい塩梅に刷り込まれ、「夜のダイニング」で語られたことは父を尊敬していた私の心に染み込んでいった。

父はよく音楽の話をしてくれた。父がマーラーはいいよ、と言うと、私は翌日早速マーラーの「巨人」を買って聞いた。

「カラヤンとバースタインの『運命』のジャジャジャジャーンは違うんだよ。カラヤンはね、『ジャジャジャジャーン』淡白なんだよ。バーンスタインはね、『ジャ・ジャ・ジャー。ジャーーーーン』とためるんだよ。どっちも好きだけどね」

と指揮の真似をしながら機嫌よく語ってくれた。私はすぐに友達に

「カラヤンとね、バーンスタインはねー」

と父の話をそのまま受け売りして得意になった。クラシックだけでなく、ビートルズとローリングストーンズのファン気質の違いなども面白く語ってくれた。父は

「僕はローリングストーンズだよ」

って言ってたけど、私は「ビートルズだよ」と今でも思う。学生運動真の真っ只中で大学生だった父が勧めてくれたジョーン・バエズの「We Shall Overcome」は後に女子校でにわか教師を務めた時、60年代公民権運動のキング牧師の「私には夢がある」のスピーチと共に生徒たちに聞かせた。

哲学や世界史の話もいっぱいしてくれた。特に父の大きな関心、渡来人を中心とした古代史の話。私たち在日韓国人のルーツ。渡来人への関心は父自身の中にあるアイデンティティーの問題と繋がっていたようだ。

それは後に「四天王寺ワッソ」にまでつながるのだがーー。ともあれ「夜のダイニングテーブル」で語られた父のエベレスト級の博識は私の中の「世界」をひと周りもふた周りも広げてくれたのだ。


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