北韓の江原道(カンウォンド)に豪華海岸リゾート「元山葛麻(ウォンサン・カルマ)海岸観光地区」が完成した。6月24日に行われた竣工式には金正恩氏が李雪主(リ・ソルチュ)夫人と名前が「ジュエ」とされる娘と同席した。金正恩氏は式で涙ぐむ姿をみせるなど、葛麻海岸リゾートに特別な思い入れがあることを伺わせた。竣工式は6月26日に報じられた。金正恩氏が参加したイベントは翌日に報じられることが通例だが、なぜ翌々日に報道されたのだろうか。
実は6月26日は金正恩氏の実母・高容姫(コ・ヨンヒ)女史の誕生日である。金正恩氏は24日の竣工式をあえて亡母の誕生日にあわせて報じるよう命じたと筆者は見る。なぜなら、元山は金正恩氏と高容姫氏の「ゆかりの地」だからだ。
高容姫氏は大阪・鶴橋で生まれ、1962年の帰国船で北韓へ帰国。北韓での人生の始まりの地点だ。高容姫氏は73年頃から金正日国防委員長の側室となるが、金日成主席に受け入れられず、元山で過ごすことが多かった。さらに金正恩氏の出生地が元山だと実妹・金与正氏が述べたことがある。それゆえ「元山妻」と揶揄されたほどだ。
側室の家系ゆえに平壌に住むことが許されなかった高容姫氏と金正恩氏は、北韓の権力中枢から蔑まれていたことを敏感に感じ取っていただろう。金正恩氏が、金正日氏の嫡男・金正男(キム・ジョンナム)を暗殺し、朝鮮労働党の幹部や朝鮮人民軍(北韓軍)の重鎮を無慈悲に粛清・処刑する極端な行動の裏側には、出生にまつわる鬱屈としたコンプレックスがあったのかもしれない。
金日成・金正日氏は、父母まで含め神格化されたが、金正恩氏の出生と実母・高容姫氏に関しては、いまだその存在すら明らかにされていない。かつては高容姫氏の誕生日に合わせ、労働新聞に暗に彼女を称える論評が掲載されることもあったが、いつの間にかなくなった。高容姫氏の宣伝映像も制作して拡散しようとしたが頓挫し回収騒ぎになったこともある。
実母の存在を明かせずに忸怩たる思いに駆られていた金正恩氏は、「ふる里」であり母との思い出がつまった「ゆかりの地」元山を北韓有数の名所にし、亡母へのプレゼントとして豪華海岸リゾートを建設した。そして高容姫氏の外孫にあたるジュエ氏と18カ月ぶりの登場である李雪主夫人、実妹・金与正氏と共に竣工式に出席、記念として亡母の誕生日である6月26日に報じたというのが筆者の見立てである。
これまで北韓の聖地は、金日成氏がパルチザン活動を行い、金正日氏の出生地(虚偽である)とされている白頭山だった。昨年、金正恩氏は白頭山の麓・三池淵観光地区を訪れたが、ホテルの出来映えに激怒し、祖父と父の聖地は「金正恩氏激怒の地」となった。一方、亡母との追憶の地である元山は「金正恩氏感涙の地」となった。
金正恩氏は元山を白頭山に代わる新・聖地にするつもりなのかもしれない。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。