李薫の「家族の肖像」 第4回

おしゃれな祖父 李熙健
日付: 2025年07月04日 01時37分

日曜日は 大好きな「百貨店巡り」に

祖父はおしゃれだった。若い頃の写真を見ても、スーツをカッコよく着こなし、蝶ネクタイをつけてクールにポーズを取っている。髪もポマードで綺麗に整える。それは若い頃からずっとしてきたことで、入院する時以外、休日で家にいる時でさえ、髪を綺麗に整えていた。

祖父イ·ヒゴンの青春時代

休日の遅い朝食、パジャマでリビングルームに現れても、パジャマを「パジャマ扱いせずに」きちんと着ていた。だらしないということが一切なかった。

祖父ははおしゃれだったが、私も妹もおしゃれに無頓着だった。そんな私たちを祖父は毎週日曜日、大好きな「百貨店巡り」に連れ出した。母と服を買うより、祖父と服を買いに行くことの方が多かった。

どちらのスカートの方がいいか、祖父があれやこれや指図しているのを見て、店員さんに「いいお父様ですね」と言われると、ニカッと笑って「おじいちゃん」と訂正して上機嫌だった。

百貨店の一階、ネクタイ売場はどの店員さんも顔見知りだった。祖父のネクタイのコレクションはすごくて、100本以上はあったのではないかと思う。同じネクタイが2本見つかったなんてことは一度や二度ではなかった。

店員さんが顔見知りなのは、百貨店だけではなかった。ソウルのロッテデパートにある免税店の店員さんたちとも顔見知りだった。免税店のフロアに祖父が現れたことがわかるや、いくつかのブランドの店長さん達が笑顔を浮かべて「会長!」と店の前に立ち、祖父に『おいで、おいで』と誘う。祖父の腕を引っ張って店に連れ込む人もいた。

ソウル出張から帰ってきたら、祖父は黒い小さなプラダの小銭入れや化粧品などをお土産だと言って私たちにくれた。私たちだけでなく、興銀の秘書の人たちにもお土産だと言って渡していた。値打ちのわかる人たちにもらってもらったほうが幸せだろうと思った。私や妹には使い慣れないものが多く、それらは引き出しの肥やしになった。

 

ソウルロイヤルホテルでの思い出

ソウル出張に同行した時のこと。祖父は明洞聖堂前のソウルロイヤルホテルを常宿としていた。14階に寝室と小さな会議室がついた祖父の部屋があった。そこで朝食を一緒にとった。時々新韓金融グループの会長、銀行長、秘書室長さんたちも同席された。ある日のこと、ネクタイを1万ウォンで買ったとか、靴下をお手頃価格で買ったなど
敬意を示すためのおしゃれ
、掘り出し物の自慢話に花が咲いた。

祖父はニコニコしながらオートミールを食べ、みんなの話が落ち着くのを待ってから、祖父はおもむろに眼鏡を外して、言った。

「これ、鼈甲の眼鏡や。百万やで」

一斉に「おおーっ」と声が上がった。

「上に立つもんがネクタイ3本いくらで買ったとか、しょうもないこと言いなさんな。ええもんを身につけなあかんで

祖父のおしゃれは相手に対する敬意を示すものだった。私もようやく「敬意を示すためのおしゃれ」の大切さがわかってきた。それでもわかっただけで、「着こなす」ことは不得手。何よりも億劫である。洋服ダンスを開けると今もあるスカートが一枚着ないままで掛かっている。

「日本で一番大きなデパートができたぞ」と、阿倍野の近鉄百貨店がオープンしてすぐに、新しい物好きの祖父が私をお供に連れ出した、その時に買ってくれたジプシーっぽい赤いスカートだ。ウエストもきつくなって着ることはないのだが、思い出深いもので捨てられない。


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