家族思いの祖父 李熙健
祖父の家族思いは天下一品だった。週末にはよく大阪のデパートや奈良公園に連れていってくれた。初めての新幹線、飛行機、初めての東京、海外旅行も祖父と一緒だった。
家族の誰かが体調を崩したら、大学病院の診察に必ず祖父が付き添ってくれた。横で声を絞り出すように「先生、頼んます、頼んます」と。入院すると毎日のようにお見舞いに来てくれた。一般食が食べられるようになった日には、豪勢なお弁当を届けてくれて、看護婦さんたちに羨ましがられた。
祖父の家族思いは海を越え、大邱にまで及んだ。大邱の本家の結婚式に私が祖父の名代として行くことになった時のことだ。大邱に行く準備をしていた私に祖父が「これをクンハルモニ(本家のおばあさん)に持っていけ」と紙袋を差し出した。中身は毛織の肌着やパッチだった。
「これはアルパカの最高級の下着や。あっちのばあさんに渡せ。田舎は寒いから、喜ぶはずや」と。
男物の下着だった。祖父にそのことを指摘すると、大きな声で「なーに言うてんねん。モントングリ(大馬鹿者)。これは最高級で暖かい。いいから、黙って渡してこい」と。
大邱の本家に行き、結婚式の前日に言われた通りに本家のハルモニにアルパカの下着を渡した。するとハルモニは下着を抱きしめて泣いて喜んでいた。本家のハルモニは若くして亡くなった祖父の兄嫁だ。大変な時期も懸命に家を守ってくれたと祖父は深く感謝し、本家のハルモニを大事にしていた。
そんな祖父の気持ちはもちろん本家のハルモニにちゃんと通じていて、居間の壁には大きな祖父の写真が掛かっていた。
そんな家族思いの祖父に私はなんでも相談した。晩年の御堂筋の事務所。相談事があって訪れたお客さんの言葉に耳を傾ける祖父の姿をよく目にした。家でも小さなことから大きなことまで、私たち家族は祖父に相談した。「李熙健よろず相談室」は二十四時間無休だった。