いま麹町から 57 髙木健一

東京裁判の受け入れー「アマテラスの暗号」から
日付: 2025年06月17日 10時50分

 この5月、久しぶりの渡韓時に何か読もうと思っていると空港の本屋で『アマテラスの暗号』との題名の文庫本(宝島社)を見つけました。丹後の籠神社をはじめとして、有名な神社が登場する興味深そうな内容です。それだけに文中に「歴史の陰謀」として、東京裁判についての叙述(上巻108頁以下)が気になりました。
まず、死刑となったA級戦犯者を「国のために命を捧げた英霊ではなかったか」というのです。A級戦犯とは平和に対する罪、B級戦犯は通常の戦争犯罪、C級戦犯とは人道に対する罪をいいます。このうち「人道に対する罪」(C級戦犯)とは戦前または戦時中の「奴隷的虐待や政治的または人種的理由に基づく迫害行為」を言い、ナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺が例としてあげられます。日本軍のいわゆる慰安婦制度もこれにあたると考えられているのです。この人道に対する罪こそ、第2次大戦後の最も重要な犯罪概念です。つまり、A級、B級、C級は重さの順番ではないのです。いずれにせよ、A級戦犯の東条英機らを「国のために命を捧げた英霊」だと考える人は少ないと思います。
また、この小説では「日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の判決を受け入れた」とし、内容を受け入れたわけではないとも述べています(同上、109頁)。しかし、日本が「受け入れた」のは「裁判」(Judgments)であり、判決主文だけではないのは判決全体を読めば明らかです(外務省の公式見解)。
しかも登場人物は、「あんなもの」(東京裁判のこと)は、「裁判と呼べるものでは」ないとし、「私的リンチだ」とか「政治的裁判ショーだった」などと非難しています。確かに国際法は現在でも遵守させる強制力がなく、大国が無視すれば悲惨な結果をもたらします。それでも欧米を中心に国際法体系を構築する努力が営々として積み重ねられてきました。ベルサイユ条約やパリ不戦条約などで既に確認されていた慣習法として、平和に対する罪は存在してきたと言えます。
さらにこの小説では東京裁判の手続の不公平さが指摘され、裁判中においても連合国側が再植民地化するために戦っていたと指摘しています。それは、例えばインドネシアに戦後戻ってきた支配勢力だったオランダのことを言うのでしょう。そのオランダと戦ったのは、日本が作った「国軍」(インドネシアでは「兵補」という)だというのです。確かにインドネシアの若者を訓練し、その組織が戦後独立戦争に貢献したのは事実です。しかし、戦争中、日本軍がインドネシアの若者を集めて訓練したのはあくまでも日本軍の補助目的だったのです。しかも、使うだけ使って戦後は未払い賃金を残し放置されたことに兵補たちは大きな不満を持ったため、兵補協会は私たちの「戦後補償国際フォーラム」に継続して参加してきたのです(本稿21)。日本がつくった「国軍」と誇りをもっていうのなら、日本は最後まで面倒を見るべきではないでしょうか。
いずれにせよ、太平洋戦争はアジア諸国の解放が日本の目的だったというのは、日本の占領中の現実をみれば虚偽であることがわかります。中国大陸での日本軍の行いを始めとして、香港での軍票との強制交換、ベトナムの100万人の餓死者、マレーシアでの労務者の酷使、シンガポールでの中国人の集団殺害、太平洋の島々での労務者の酷使など枚挙にいとまがないのです。重要なのは、歴史の現実を見て、謝罪と償いをすることです。事実を歪曲して、正当化したり、居直ったりする醜い作業に努力することではないと思います。その意味で残念な本でした。


閉じる