私は韓国のソウルに住んでいます。天佑神助によって郷歌・万葉集の解読法を悟り、皆さんが知らない万葉集の世界を旅しています。1400年前の日本をたどっている旅人です。
万葉集を読んでいると、大和三山へ登り、曲がりくねって流れる飛鳥川の川辺に広がる広大な花畑を見渡している気になります。この花畑の話をするには、天武天皇の死から話さなければなりません。
686年9月、天武天皇が崩御されました。天武天皇は、韓半島西海岸の白村江での敗戦後、壬申の乱を起こし兄の息子の大友皇子から皇位を簒奪しました。死を目前にした天武天皇は「天下のことは皇后の鸕野讚良と皇太子の草壁皇子に報告し処理せよ」と言い遺しました。
鸕野讚良は息子と一緒に権力を握りました。ところが、3年後の689年4月、青天の霹靂のように一人息子の草壁皇子が27歳の若さで亡くなりました。息子の死を前に、母はどうしようもなく崩れました。
鸕野讚良は持統天皇として即位、彼女の哀しみが数多くの万葉集で詠われました。万葉集を読む人々は、一人息子を亡くした母親である持統天皇の切ない心が歌の背景になっていることを分かって欲しいと思います。
そのとき作られた歌々が万葉集の背骨となっています。持統天皇が事実上、万葉集の主人公でした。
数多くの作家が登場し、数多くの歌が詠まれます。燦爛たる万葉文化の花が咲きます。私は持統天皇の切ない心から生まれた歌々を「持統万葉」という別称で区分してみたいです。
人類史上、これほど偉大な文学が他にあったのでしょうか。英国のシェイクスピアがこれに近づけるでしょうか。
これから我々は持統天皇が作った万葉の花畑に入ります。「持統万葉」の切なさと美しさと雄大さを思う存分味わってほしいです。
今まで日本には万葉集を研究された方々が多かったのですが、残念なことに万葉集の解読法を得る運が付いていませんでした。そのため、万葉の花畑に入れず、その香りを楽しむこともできませんでした。
1400年前の偉大な文学を紹介する機会を私に与えてくれた統一日報に感謝し、読者の皆様を「持統万葉」の花畑へ招待します。
地球滅亡の日、もし神様が私に、日本が成就したすべての中から一つだけを持って他の惑星へ行けと言ったなら、私は迷わずに万葉集を選びます。
持統万葉(日本よ、ご覧なされ、飛鳥川の川辺の花畑を)
<つづく>