東アジア文字考~漢字を巡る遥かなる旅 第23回 水間一太朗

気高く生きるということ
日付: 2025年04月22日 12時00分

「け」と「気」

「け」とは、「見えないが感じる霊的なもの」をいう。だから「け」は良きものにも悪きものにもなりうる。「け」は日常の霊気のことをいい、稲穂も「け」であった。「け」が離れたり枯れたりすることは「けがれ」であり、それを取り戻すには禊や祓いが必要であった。霊気は「怪(け)」にも成り得た。ものに宿ると「物の怪(もののけ)」となる。
その「け」には、後世に漢字の「気」が充てられた。発音が似ていたからである。そして「け」と「気」が融合して日本独特の感性となった。このような例は日本語に散見する。大和言葉の「わ」は、元来は「輪」や「環」を意味したが、漢語の「和」と発音が似ていたため後世に融合する。「け」も同じである。そのため、中国語の「和」と日本語の「和」に違いが生じるように、中国語の「気」と日本語の「気」にも微妙な違いが生じたのである。
漢字の「気」の旧字体は「氣」で、「气」と「米」による会意兼形成文字である。「气」は甲骨文字に多用される文字で、雲が原意である。祈祷の多くは雨乞いであったから卜文に多い。雲が空に流れ、その一方が垂れている様をあらわしている。祭壇に「米」を捧げること、また「米」を客人に振る舞うことは「氣」となった。そこから、活動の源泉になるものを「氣」というようになったのである。
日本語の「気」は、活動の源泉という漢語の意味に、日本的霊性を足したものである。日本の上代語で多用された言葉に「けたかい」がある。「けたかい」ことが理想の人であった。「けたかい」とは「け」が高いことである。「け」が「高い」ことが人格の現れだったのだ。

「気高さ」を追求した謙譲語

古来、最も「気高い」人物は神に近い人であった。神に奉仕する人は、神の前にへりくだった。「へりくだる」ことを体現化した行為が「両手をついてひざまづく」ことである。これを大和言葉では「はべる」という。腹ばいに伏せるということである。このような習慣の積み重ねが祝詞という文化を生み、善言美詞という神に対する言葉遣いを生み出した。それが敬語の文化である。特に「謙譲語」という「へりくだる」意味を表す言語体系は、世界でも稀有なものである。
この「はべる」という概念は文化の基底を形成した。韓国語では「モシダ」という。礼節を重んじる東洋の国々の中でも日本と韓国の「へりくだる」文化は特殊である。そもそもシナ・チベット語族の中国語では、用言による丁寧語そのものが発達しにくかった。名詞が複雑に発達したのみで謙譲語の文化は生まれなかったのである。
「はべり」と同義語だが、それをさらに丁寧にした言葉に「さぶらふ」がある。「はべり、さぶらふ」というように同時に使われることも多々あった。「さぶらふ」の上代語は「さもらふ」である。「さ」は方向をあらわし、「もら」は動詞「もる(守る)」未然形で、「ふ」は反復形なので、「主人のいる場所をじっと見守りながら待機する」という意味になる。
やがて「さぶらふ」が変化して「さむらい(侍)」となった。また、「さぶらふ」は「そうろう(候)」にも変化して公式文書の用言となった。手紙や公式文書の結語のほとんどは「候」となり、そうした文型が候文として確立され、明治維新まで続いたのである。このようにして貴人に徹底して「侍る」文化が醸成された。それが、世界に誇る『武士道』となったのである。
西欧文化が跋扈する現代。自己主張が全てではない。神に侍るという「気高き」生き方を見直す時なのかもしれない。(つづく)

 

(左から)現在用いる日本・韓国・中国での『気』表記

 

 

 

 

水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。


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