いま麹町から 48 髙木健一

「浮島丸事件」の裁判 不可思議な戦後処理
日付: 2025年01月15日 12時03分

 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
今回は浮島丸事件を取り上げたいと思います。
日本がポツダム宣言を受諾したあとの昭和20年(1945年)8月24日の午後5時ころ、青森(大湊地区)から乗船した朝鮮人労働者3735名の船(浮島丸4730トン)が釜山へ向かう途中、京都府舞鶴港に入港しようとしたとき突然爆発し、沈没したのです。この沈没による死亡者は死没者名簿では524名とされていますが、戦後、きちんとした調査が一度もなされていないのです。問題1は、爆発し、沈没した原因です。海軍の船員が朝鮮行きを嫌ったという「自爆」説がありますが、証拠がありません。アメリカ軍が設置した機雷に接触したとするのが最も一般的です。問題2は、そのような機雷が残っているかもしれない舞鶴港に入港しようとしたことの是非です。
この浮島丸事件については、京都地裁で約80名の遺族によって訴訟が提起されています。一審判決は(京都地裁2001年8月23日判決)は、国と原告らとの間には私法上の旅客運送契約に類似した法律関係が成立しているとして、運航中止の緊急電報が届いており、危険な舞鶴周辺から出航地の大湊に戻るべき義務があったとしたのです。そして、1人300万円の慰謝料の支払いを命じました。これに対して、二審判決(大阪高裁03年5月30日判決)は、帰朝の喜びにあふれた多数の朝鮮人徴用工をまた大湊に返せば暴動騒ぎになることも予想され、運航を続けるのもやむを得ない措置だとしました。
従って、国の安全配慮義務の不履行を問題にする余地はないとして、原告の請求を棄却したのです。しかし、浮島丸は結局触雷して爆沈したのですから、やむを得ないと是認することはできません。
これでは不充分だと思ったのか、高裁判決は本件のような爆沈事件による被害は国の存亡にかかわる非常事態の下では、国民の等しく受忍しなければならないことであり、憲法の全く予想しないところであると指摘しました。国民の「戦争被害受忍論」を持ち出してきたのです。「国民の等しく受忍」といいますが、空襲被害のように一部の国民に不平等に負担を強いるものです。しかも日本では元軍人・遺族に対しては軍人恩給など戦後50兆円もの支援をしているのです。また、「国民の等しく受忍」という言葉も適切ではありません。被害者はサンフランシスコ平和条約まで日本国籍を有していたといえるのです。しかも、日本人ではない他民族(それも、カイロ宣言では「朝鮮の人民の奴隷状態」だったことを日本も認めています)です。日本人だから受忍すべきだと、この人たちに対して言う言葉であるとは思えません。この点、欧米では負担の公平の考え方が浸透しています。
西ドイツでは空襲の爆弾投下時に、風の都合でビルが被害を受けた場合に、被害のない隣のビルのオーナーは被害を受けたビルのために適切な再建費を負担して、全体として被害負担の公平を図っているという話を聞いたことがあります。日本のようにどこに爆弾が落ちても被害は「受忍」せよとするのと大きな違いです。
さらに高裁判決は、当時の法秩序の下では、国は被害者に対し民法上の不法行為責任を負うことはないとする「国家無答責」の法理を持ち出しました。伝家の宝刀です。
いずれにせよ、日本政府は当時の死没者は日本国民であったとするのですから、しっかりとした調査に基づいて爆沈した理由と責任を自ら明らかにする必要があると思います。そして、責任があるとするなら、補償をすべきなのです。


閉じる