韓日国交正常化から60年。その間に、経済のグローバル化が進み韓国や日本でもDX(デジタル・トランスフォーメーション)とGX(グリーン・トランスフォーメーション)が同時進行するパラダイムシフトが始まっている。こうした中で、韓日経済交流の歩みをたどり、来るべき未来を占う。
14年にわたる国交正常化交渉
1965年(昭和40年)6月22日、日本と大韓民国の間で日韓基本条約(正式名称「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」)が締結され、同年12月18日に正式に発効した。これにより、韓日両国の国交が正常化したが、この交渉が始まったのは51年(昭和26年)に遡り、約14年に及ぶ長期の外交折衝を経て65年にようやくまとまった。
この間の国交正常化交渉(日韓会談)では、日韓併合により消滅していた国家間の外交交渉の回復方式を始め、李承晩ライン以降、韓国が占拠を続ける竹島(独島)の領有権問題や漁業権問題、戦後補償(賠償)問題、日本在留韓国人の在留資格問題、歴史問題、文化遺産返還問題などが話し合われた。予備会談に始まり、第一次から第七次までの日韓会談を重ね、65年6月までに基本条約とそれに付随する関連条約(付随協約)の締結で合意した。
経済協力協定で5億ドルを提供
日韓基本条約では、両国は日韓併合条約(10年8月22日調印)とそれ以前に日本が朝鮮、大韓帝国との間で結んだ条約や協定は「もはや無効」であり、大韓民国政府が「朝鮮半島における唯一の合法的な政府」であることを確認、合意した。
付随協約は日韓請求権並びに経済協力協定、在日韓国人の法的地位を定める法的地位協定、日韓漁業協定、文化財及び文化協力に関する協定と紛争解決交換公文からなり、これらは外交文書として韓日双方で批准された。
その結果、日本は朝鮮半島に残したインフラ・資産・権利を放棄し、韓国に10年間で無償3億ドル、有償2億ドルの合計5億ドル(当時の為替レートは1ドル360円)の資金提供を行うことで合意した。これは当時の韓国の国家予算の2年分に相当する金額とされ、最終的に日本は韓国に約11億ドルの経済援助を行い、韓国経済の戦後復興に寄与することになった。
「漢江の奇跡」の起点も国交正常化から
日本と韓国が国交を正常化した65年当時の両国のGDPは、日本の約937億ドルに対して韓国が約31憶ドル(世界銀行調べ)であり、日韓の経済格差は30倍以上だった。しかし、その後、韓国経済は60年代半ばから「漢江の奇跡」と呼ばれる高度成長を遂げ、今やGDP(名目)1兆6643億ドル(2022年、韓国銀行調べ)を超える経済大国になった。一人当たりのGDPは23年に5万4033ドル(購買平価ベース)に達し、日本の5万207ドルを上回っている。また、平均賃金も韓国4万9062ドル、日本4万6792ドルで韓国が日本を凌駕している。
こうした韓国経済の大躍進は1965年の国交正常化が起点になった。始めは日韓請求権・経済協力協定に基づき、韓国政府は日本から提供された5億ドルを原資にした産業政策を推進し、輸出を梃子に経済成長を実現する輸出志向の工業化に取り組んだ。
原材料や機械を輸入して豊富な労働力で組立・加工を行い、第三国へ輸出する工業化の発展プロセス。それは縫製・衣料品などの軽工業製品の製造に始まり、機械・電子工業、続いて重化学工業の育成に及んだ。
巨額の円借款供与で貿易不均衡を是正
当初は韓国への原料や機械の供給基地は日本が占め、日本では機械輸出には日本輸出入銀行による延べ払い信用が付与された。日本の対韓輸出は67年には65年の倍以上の4億700万ドルを記録するなど、韓国は日本にとって重要な機械市場となった。
こうした機械産業におけるウィン・ウィンの経済関係は、80年頃まで続き、韓国向けの機械輸出は日本の機械輸出全体の10%を占めるほどだった。だが、韓国産業は日本を中心に海外からの原材料調達と機械の輸入により、慢性的な貿易赤字が続いた。
このため、83年の中曽根康弘首相の訪韓の折りに、日本は貿易不均衡の是正措置として7年間で40億ドルの円借款供与を表明し、韓国の産業振興を支え続けた。その後、韓国経済の発展を受けて、対韓円借款は90年に終了したが、97~98年のアジア通貨危機に際しては、金融準備金として100億ドルをコミットし、日本輸出入銀行を通じて総額40億ドルの支援を実施する金融支援を行った。
半導体王国に躍り出た韓国の電子産業
「漢江の奇跡」の大躍進を経て、韓国ではサムスン電子やLG、SKなどの財閥系のエレクトロニクス企業が急成長し、90年代以降、世界の先端産業をリードする存在になった。しかし、97年の通貨危機は韓国電子産業の貿易構造の弱点をあぶり出した。
半導体や液晶ディスプレーなどのハイテク製品の製造に強みを持つ韓国の電子産業だが、90年代半ばの大幅な貿易収支の赤字要因の一つは、先端的な部品や素材を日本に依存する構造にあった。このため、韓国政府は通貨危機直後から先端部品・素材産業の育成に乗り出し、日本に対しては、先端部品・素材分野の技術協力、工場進出を要請してきた。
韓日競合時代の連携拡大の新機軸
これを受けて、炭素繊維など先端素材を手掛ける東レは63年に韓国に初めて繊維製造工場を設立して以来、重要な素材分野での投資を拡大してきた。このほど、2025年までに総額5000億ウォンを投じ、亀尾市に先端素材の生産施設を増設する内容を盛り込んだ了解覚書(MOU)を産業通商資源部や自治体と締結。1億ドル(約155億円)以上を投じてアラミド繊維およびポリエステルフィルムの生産施設を増設するなど、韓国での先端素材の現地生産を拡大している。東レがこれまでの約60年間で韓国に投資した資金は約5兆ウォン(約5460億円)にのぼり、これは日本企業では最大の規模を誇る。
また、半導体製造装置大手の東京エレクトロンは、韓国で3番目のR&Dセンターを開設し、半導体王国の韓国でのウエハー加工や半導体製造工程の技術開発に拍車をかけている。
こうした先端部品・素材産業の工場誘致により、韓国の貿易収支は黒字転換し、電子立国としての好調を維持して現在に至っている。
韓国と日本の製造業は自動車、半導体、石油製品、IT(情報技術)、メカトロニクス製品などの成長分野で競合するが、部品・素材分野ではまだ、日本に一日の長がある。韓国の加工・組立のセットメーカーと日本の先端部品・素材メーカーとでタッグを組み、サプライチェーン供給網を分担する韓日協業の取り組みは、韓日競合時代の連携拡大を促す新機軸として注目される。
尹錫悦政権の誕生で日韓関係は改善へ
経済産業省の通商白書2024年版によれば、日本にとって韓国は第5位、韓国にとって日本は第4位の貿易相手国であり、23年の2国間の貿易総額は約11兆円、日本の対韓投資額は約13億ドルに達する。
韓日経済関係は1965年の国交正常化以降、時の政権の政治、政策に翻弄されることもあったが、政府、民間双方の努力で幅広い分野での協力と交流が続いてきた。
98年の小渕恵三首相と金大中大統領による「日韓共同宣言」と「日韓経済アジェンダ」の提案、2002年の国際サッカー競技大会「FIFAワールドカップ」の共同開催、05年の日韓友情年の催事などを通して、両国の経済交流は拡大、発展してきた。
とくに、近年は韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権誕生で韓日関係は急速に改善し、韓日財界の交流拡大、共同の資源開発、半導体や水素などの新産業分野の連携プロジェクトが始動しつつある。
大統領弾劾の韓国政変の行方を注視
だが、24年12月に尹錫悦大統領の弾劾訴追が可決されたことを受けて、韓日の外交、経済交流が揺らいでおり、国交正常化60周年に向けた協力事業にも影響が及ぶ懸念が広がっている。日本政府は25年の日韓国交正常化60周年事業を統括する事務局を外務省内に設置しているが、韓国政変の行方を注意深く見守っている。
弾劾可決後、韓日両国の外交当局は会合を持ち、日韓、日米韓の協力を引き続き継続することを確認したが、その帰趨は予断を許さない。
風雲急を告げる韓日関係だが、両国の財界人は「未来志向の関係は揺るがない」として、両国間の交流と協力を持続可能なものとして、これまで進めてきた水素・アンモニア事業の共同構築や韓国のCPTTP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)加入などを進めていく方針である。
韓日両国は、少子化、地方消滅、気候変動など共通課題も多くあり、連携して取り組むべきプロジェクトを堅持しながら、当面は韓国政治の行方を慎重に見守っている。
篠﨑 晃(しのざき・あきら)
統一日報論説委員。日刊工業新聞社で新聞記者、雑誌編集者、編集長を歴任。一般社団法人日本企業危機管理協会環境部会長・企業文化広報誌「つながり」編集委員。「松下電器の『破壊と創造』超・製造業への挑戦」(実業之日本社)ほか著書多数。