ドラマと文学で探る韓国14

誰もが夢見る、今とはちがう自分
日付: 2024年12月03日 11時40分

 日本では少し前から、闇バイトによる凶悪事件が世間を騒がせている。このことは当然、韓国でも大きく報じられた。興味深いのは、その報道に接した韓国人の反応だ。闇バイトに手を染めてしまった若者たちの親世代は、一様に大人の責任を口にする。若年失業率が高い韓国で、生活苦に喘ぐ若者たちがいつ同じような事件を起こすかわからない。安易な考えで高額報酬に飛びつき、一生を棒に振るようなことにならないとも限らない。だが、若者をそうさせてしまうのは大人ではないのか。若者が闇バイトに飛びつかないよう、指導するのが大人の役割だ、というのである。梨泰院で起きたハロウィン雑踏事故やセウォル号沈没事故の時も、同じように大人の責任を問う声が大きかった韓国だが、彼らは若者を守るために何ができるか、それを考えている。半面、若者はどうだろうか。大人に責任を押し付けてはいないだろうか? スプーン階級論はまさにその典型ともいえる。生まれのせいで、努力しても仕方がないというのなら、その考え方にはやはり疑問を抱かずにはいられない。
ゴールデンスプーンのおかげで自分だけが裕福な暮らしを手に入れ、後ろめたさを隠し切れないスンチョンはついに元の生活に戻る決意をする。だが戻ってみると、またもや迷いが生じるのだった。借金苦によって家を失い追いつめられたスンチョンはもう一度テヨンと入れ替わる……。まるで坂道を転がるように、貧しいものはさらに貧しくなり、それゆえに利用され、人間としての尊厳までかすめ取られていく。このドラマに描かれる貧しさは、誠実であろうとする人間がどこまでも損をするという現実だ。驕れるものは久しからずというが、実際は誠実なものは久しからずなのかもしれない。そして驕れるものはさらに肥え太っていく。そうなると、そんな社会にしてしまった大人の責任はやはり糾弾されて然るべきだといえるだろう。
今の自分を変えたい、変わりたいと切実に望んだ『TUBE』のソンゴンは、まずは身近なことからと、姿勢矯正を始めてみることにする。昔バイトに使っていたジンソクが毎日、ソンゴンの姿勢の写真を撮ってくれた。やがて写真の中のソンゴンは少しずつお腹が引っ込み、丸まっていた背中や腰も徐々に伸びていった。この後、彼は新しい目標を立てる。一日に少なくとも三回、何でもいいから誰かを褒めること。まずは朝起きて鏡に映った自分を褒めることから始め、ビルの警備員や掃除のおばさんを褒めるのだが、なかなかうまくいかない。心のこもらない誉め言葉など、空々しいだけなのだ。それでも努力を続ける彼に、やがて変化が訪れる。新たなプロジェクトを始めたソンゴンは誰の目にも以前の彼とはちがう輝きがみなぎっていた。
変わりたいと願うスンチョンとソンゴンに変化の時が訪れる。それは彼らが本当に願った変化だろうか。そしてその変化によって、何を失い、何を得るのだろうか?
次回は彼らに変化をもたらしたものが、彼らにとって何を残したのか、考察していこう。
ちなみに、冒頭の日本の闇バイトに対する若者たちの反応はというと、それでも日本は我々よりも豊かだから、というコメントが目についた。いまや大卒初任給でも日本を超えているはずだが、彼らはそんな現実を実感してはいないようだ。


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