ソウルを東京に擬える第36回

巨大都市の狭間で交流はぐくむ富川・川崎
日付: 2024年12月03日 11時36分

 ソウルと東京に比較的広く接し、巨大な衛星都市である仁川や横浜の間に挟まれた市が富川市と川崎市だ。富川市は人口が約80万人で、川崎市は約155万人と2倍近くの隔たりはあるが、立地的によく似ている両市は1996年に友好都市となった。それ以前から活発な交流を続けており、2023年7月には川崎市から、今月は富川市から、それぞれ市長らが訪問し、互いに視察を行っているほどだ。
富川駅周辺は市内の主要な商圏のひとつだ。1899年に京仁線の開通と同時に開業した富川駅は、当初は素砂駅と呼ばれ、今は約1キロ離れた隣の駅が、その名である。駅周辺に高い建物は少なく、低層な建物に小規模な店舗がひしめきあう印象だ。一方で川崎駅は、それよりも歴史が古く、72年に品川―横浜間で鉄道が仮開業した際に中間駅として開業。多摩川や海岸付近に工場が増えていき、京浜工業地帯の中心の街として栄えた。かつて東芝の工場があった川崎駅西口は再開発が進み、商業施設のラゾーナ川崎、そのほか高層のビルもみられる。東口にはアーケード商店街があり、飲食店も多く、歓楽街の雰囲気が漂うが、近くの堀之内や南町は色町としても知られる。さらに国道15号を渡ると、競馬場、そして富士見公園内には競輪場やスタジアムがあるが、かつて大洋やロッテが本拠地とした旧川崎球場もこの場所だ。南北に長い川崎市には、JRと私鉄が交錯する駅が多い。再開発が進むもかつての闇市の名残まで見られる溝の口、ドラえもんの発車メロディが流れる登戸、タワーマンションが増えた武蔵小杉といった駅が、それぞれの区の中心といえる。
富川市の富川駅前以外の商圏としては、1990年代以降に開発された中洞新都市が挙げられる。この街は百貨店や大型マートのほか富川市庁もある中心地で、アパートが多いベッドタウンでもある。富川市は74年に国内初の半導体の会社が設立された地でもある。
両市は文化的な要素も多彩だ。97年からは富川国際ファンタスティック映画祭が開かれており、韓国漫画博物館もある。溝の口は近年ブレイキンの聖地と言われるが、富川で2016年から始まった富川世界B―boy大会では川崎在住の選手が準優勝したこともある。川崎では音楽、映画、国際交流などにも力を入れており、施設としては新百合ヶ丘にある川崎アートセンター、多摩区の藤子・F・不二雄ミュージアムや岡本太郎美術館なども挙げられる。富川市にも富川アートセンターがあり、ごみ焼却場をアートスペースとした富川アートバンカーB39といった斬新な施設も見られ、川崎市長や関係者らが昨年視察を行った。今年はスポーツ交流として、富川FC1995のジュニアチームが来日、川崎フロンターレU―15他との交流試合を行っている。また2000年から川崎・富川高校生フォーラム<ハナ>が夏と冬に互いに訪問して交流を続けるなど、青少年同士のつながりも見られる。
このように交流が活発な両市だが、背景には在日コリアンが多く暮らすことにある。戦前に工場の労働者として半島から渡ってきた人々やその子孫が桜本・浜町付近に住み、当初は桜本商店街と遠美市場の交流から市の友好関係へと発展したという。桜本の通称・セメント通りがコリアンタウンの中心的な場所で、以前は入口に目印となるゲートがあった。ここには東天閣、美星屋などの焼肉店があり、その周辺にもぽつぽつとお店が点在する。
全国初の罰則付ヘイトスピーチ禁止条例が制定されたのは川崎市だったが、在日コリアンたちが差別と戦ってきた過去があってのことだ。民間交流はもちろんのこと、役所同士の良好な関係から、ボトムアップ的に韓日友好へとつながっていく例となれば、と思う。

ごみ焼却場をアートスペースとした斬新な富川アートバンカーB39

 

 

 

 

 

 

 

 

川崎市桜本地区のコリアンタウンの中心的な通称・セメント通り


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