新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第61回 伴野麓

日付: 2024年11月26日 11時54分

 それは、邪馬台国が畿内大和王朝に承継されたもので、征服王朝の記念碑とも主張される畿内地域の応神・仁徳陵の出現にも別途の意味はないと主張する。その学説は、万世一系の皇統史観に符号することから採用されているものという。
それに対してネオ騎馬民族説という学説があって、南九州の狗奴国の応神が邪馬台国を征服し、仁徳が承継して畿内に東遷し、大和王朝を建てたという学説だという。水野祐によって主張されているもので、邪馬台国は、敵対関係であった狗奴国に征服されたために消滅したとし、そのため266年以後に邪馬台国の名前が韓・中両国の文献から消えたのだと主張する。ゆえに外来集団の古墳出土品が急変するようになったとしているのだ。
しかし、韓・中両国の文献から邪馬台国だけが消えたのではなく、狗奴国も消えている。であれば、邪馬台国が存在しなかったように、狗奴国も存在しなかったと見るべきで、邪馬台国も狗奴国も存在しないのであれば、応神・仁徳は、邪馬台国と狗奴国のどちらにも属さないということになる。であれば、応神・仁徳はどこから来たのかということになるのだ。
ネオ騎馬民族説は、江上波夫の騎馬民族征服王朝説から一歩も前進していないと指摘されている。つまり、韓地から渡海したとしても、南九州から東遷したとしても、畿内からみれば、結果はどちらも外来集団ということになるからだ。『旧唐書〈日本伝〉』に「日本国者倭国之別種」、すなわち倭人でないことを明記し、日本史学界の一部も「実在したことが確かな最古の天皇(応神)は韓半島からの渡来者であることを否認することはできない」と述べている。
『桓檀古記』の訳者である鹿島昇は、伊藤博文らの明治政府が、黒板勝美・今西竜らの御用学者を動員して韓半島の全史料の掠奪を計画したと指弾し、それを偽史シンジケートと称している。その偽史シンジケートは、『日本書紀』の内容まで改竄し、軍部も大いに関与していたという。
偽史シンジケートはまた、ひそかに仁徳陵内部を調査。仁徳と無縁の陵であることを知り、内葬品を盗み出した。その出土品は、ボストン博物館に陳列されているということだ。さらに六国史の虚構を死守するために、天皇家とは縁もゆかりもない大和古墳群を、ついで日向西都原古墳群をも閉鎖したという。

 〔履中紀〕

履中を支えた安曇・海部氏族が和珥氏族に敗北


女鳥王と速総別の伝承や京都府宮津市須津に鎮座の須津彦神社と須津比売神社、また与謝郡与謝野町(旧岩滝町)の大内峠(王落峠)のことなど、京都は丹後の事績が、史料から抹殺されていることを指弾した。


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