歴史をたどると、徴用工問題は1975年頃から日本国内で提起された強制連行・強制労働問題が始めです。
75年12月1日付けのサハリン残留韓国人の帰還請求訴訟の訴状には、日本国は38年の国家総動員法に基づいて「総動員業務」として原告らを韓国の地から樺太(サハリン)の地への強制連行がなされたとした上、「強制連行」とは「国民徴用令に基づくと、官斡旋などを問わず当時の労務動員計画のもとにおいて、個人の自由意思が抑圧され、故郷から連行されたことに変わりはない」と主張していたのです。
そもそも韓国人に国民徴用令を適用したのは、44年(昭和19年)になってからです。従って、44年以前に連行された原告を徴用工と呼ぶのは正確ではないのです。
ところで、上記のように75年頃から強制連行・強制労働問題として提起されたこの問題は91年以降、戦後補償(損害賠償)請求として新たな地平を目指しました。
その運動の代表が韓国の遺族会であり、元慰安婦も原告に参加したところから、大きな注目を集めたのです。日本政府も強制連行の主張を争わず、判決では慰安婦原告(9名)のうち2名について強制連行の事実を認定したことはすでに指摘しました。しかし、判決では補償は拒否されたのです(2004年11月19日最高裁判決)。
韓国人原告の有する財産権を消滅させるには「正当な補償」(憲法29条)が不可欠ですが、日本は韓国人の有する財産権を補償なしで一方的に全て消滅させました。これはいくら何でも乱暴なことなのです。
そこで、争いの場が韓国の裁判所に移ったのです。日本国による加害ですから日本国内で解決すべきだったので残念です。
被害者の救済のためには、韓国での裁判に期待するしかなかったのです。被告は日本の民間企業の三菱重工、新日鉄、不二越、日立造船などです。
さらに、日本国も被告になりました。外国の裁判所では、国(日本)は被告として裁かれることはないという国際法上の原則「主権免除」はあるのですが、重大な人権侵害行為に対する場合は、この原則は否定されるとの傾向が最近認められつつあります。これに対し、日本政府は相変わらず、日韓請求権協定の完全解決条項を持ち出して反論しようとしていますが、説得力がないこと甚だしいと言わざるを得ません。
協定成立後にわざわざ韓国人の財産権を消滅させる法律を作った日本は「完全解決」ではなかったことを知っていたからです。
日本と韓国の裁判とも、日本国による不法行為の存在と損害賠償義務の発生は認められています。さらに、日本政府や日本企業の敗訴の判決は積み重なっています。
この点、日韓請求権協定第3条には紛争が生じたときの「仲裁」による処理システムがあるのです。
韓国での損害賠償義務の発生は、協定2条の完全解決の対象となるのかについて、日本政府はYES、韓国政府はNOと答えているので、この点を解決するために、あとはこの仲裁システムによる解決を目指すべきです。それなのに、なぜ両国は積極的にならないのか疑問です。
ところで日本政府は、これまで国会で外務省の条約局長が協定の解決済みとは日韓両国が国家として持っている外交保護権を相互に放棄したということで個人の請求権を国内法的な意味で消滅させたものではないとしました(1991年8月27日参議院予算員会)。それ故、国内法(65年法144号)を作って、韓国人の個人の権利を消滅させたのです。これからみると協定で解決したのは国の権利に関してのみだったことが分かります。