秋山 之
樹 下隠
逝 水乃
吾 許曽 益 目
御 念 従者
秋の山だわ
木の下には瀬の水が少ししか流れていなくて哀れだわ
流れる水に
私が涙をたくさん流したわ
あなたを哀れに思いついて行くわ
これまで92番はこのように解釈されてきた。
秋山の木の下隠り行く水の我れこそ益さめ御思ひよりは
(秋の山の木々の下を隠れて流れる水のように、私の方こそ思いはまさる一方です。あなたが思ってくださる以上に)
葬儀は10月末だった。晩秋なので瀬の水は干上がっていた。瀬の水は見送る人々の涙を隠喩する。梅雨どきの瀬のように、多くの人々が悲しみの涙を流しながら斉明天皇を送らなければならなかった。だが、人々が少なかったため涙も少なかった。
歌人・鏡王女は、自分だけでも涙を流し、梅雨の時期の瀬のように悲しみの涙が流れるようにするから、涙が少ないと寂しがらず、あの世へいらっしゃるよう、斉明天皇を慰めている。猿の尻尾と秋山の瀬という隠喩が分かってこそ、これらの作品を理解できる。91番歌と92番歌を一緒に見てこそ、最高級の隠喩が目に見えるはずだ。
万葉集を解読していると、人類が作った最高の歌集だと実感できる。古代の人類が作った神秘な偉業と言える。
ところで、万葉集を語るとき、その価値より作品の数の多さを自慢するのを見る。宝石を石ころと間違え、その数が多いと自慢しているも同然だといえる。
斉明天皇の辞世の歌、中大兄皇子の梅花歌と「猿尾歌」、鏡王女の「秋山歌」を、一緒に統一日報の紙面を通じて紹介できたのは、私としても千載一遇の機会・幸運と言わざるを得ない。
斉明天皇の最期の道に、彼女が愛した飛鳥の女人たちだけがついて行った。彼女たちの涙が川となって流れた。斉明天皇は涙の川を渡って、永遠に戻れない所へ行った。
斉明天皇は万葉集の初めを飾った星だった。古代の空で燦然と輝いた星だった。資格はないかもしれないが、私が代わりに彼女の言葉を伝えたい。
「やっと安らかに去ることができる。
私の愛する子孫たちよ。さようなら」
次号からは「万葉集13、14番歌、蝉の抜け殻の呪い」を解説する。
さようなら、斉明天皇(12番、15番歌、日本書紀の梅花歌・猿尾歌、91番、92番歌) <了>