ノルウェーのノーベル賞委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本の団体である「日本被団協」(日本原水爆被害者団体協議会)に授与することを決めたと発表しました。
この「日本被団協」は、広島・長崎の原爆生存者による草の根運動であり、核兵器廃絶運動のためにたゆまぬ努力を続けてきた功績はノーベル平和賞に値するものと私も思います。確かに、核兵器の傘によって安全が守られている中でも、核廃絶という理想を高らかに掲げる意義は大きいと思います。
この被団協の傘下ではありませんが、私も被爆者問題に関わりました(本稿(18))。
1985年頃、当時の韓国被爆者協会の辛泳洙会長からの依頼で、東京に「在韓被爆者問題市民会議」を立ち上げ、私はその代表となったのです。3年後の88年3月には、この会主催で「在韓被爆者問題を考えるシンポジウム」を開催しました。
このシンポジウムに当時の日本被団協の代表であった伊東壮さんもパネリストとして参加してくれたのです(「在韓被爆者問題を考える」凱風社27ページ)。その伊東壮さんが辛泳洙さんに初めて会ったとき、「同じ被爆者であるとしても、日本人として申し訳なく思う」と述べたと言います(同29ページ)。
広島にある原爆慰霊碑には「安らかに眠って下さい過ちは繰り返しませぬから」と刻まれていますが、「過ち」とは何か。単に戦争のことなのか、アジアに対する侵略をいうのか不明です。
広島・長崎の被爆者のうち、約1割は韓国・朝鮮人が占めています。その人たちこそ、戦時の労働力として広島・長崎で働かされ、原爆の被害に遭ったので、真の意味での被害者なのです。
最近、日本初の女性裁判官となった三淵嘉子さんを描いたNHKドラマが話題になりましたが、その中で、三淵裁判官が担当した原爆裁判が取り上げられています。
この原爆裁判の判決では、「原爆投下は国際法違反」との認定はされたのですが、賠償金の支払いは認めなかったのです。
この裁判の中で被告の日本政府は、「国際法違反に当たらない」とか、「原爆の使用は日本の屈服を早め戦争継続による双方の人名殺傷を防止した」などアメリカの主張をそのまま踏襲するなど腹立たしい限りです。また、日本政府はこの裁判で国の責任を追及されるのを免れるため、52年のサンフランシスコ平和条約で放棄したのは国の権利であり、個人に関する権利は放棄されていないので、原告はアメリカで裁判すればよいとも主張したのです。それでも、もし原告が日本人ではなく韓国人被爆者であったなら、大きく結論が変わった可能性があります。
私は辛泳洙会長からアメリカで裁判をやってほしいと頼まれ少し動いたのですが、アメリカの人権団体の弁護士であっても裁判提起には1000万円単位の費用がかかると言われ、断念したことがあります。
いずれにせよ、被爆者運動の流れに在外被爆者問題は切り離せません。
この点、韓国人被爆者はこれまで大阪の市民団体の貢献により日本人並みの援護ができていますが、北朝鮮に帰った被爆者(900人程度)には何の支援もありません。その北朝鮮には、広島・長崎で被爆し、原爆手帳を持った人もいるのです。最近、石破首相が平壌に日本政府の連絡事務所の設置を、と発言したとされましたが、在朝被爆者の援護実現のためにも意味があると思います。しかし、拉致被害者の家族会は融和的だと反発していると聞きますが余りに政治的すぎます。
何のパイプもない現在、北朝鮮への連絡事務所の設置には意味があります。この連絡事務所を通して、被爆者援護が前身することを望むからです。