日本人はほとんどの場合、先祖をよく知りません。3代から4代遡れば良い方です。この点、韓国では族譜(系図のようなもの)があり、数百年前の祖先の名前や事跡(生前の役職名)まで確認できるのです。数百年前の朝鮮時代の党争のとき敵として争った恨みを今でも持ち出すことがあるそうです。
それほど先祖を今あるかのように誇りに思い、一族に対する帰属意識が強いのです。同じ一族同士なら取引をしても絶対に裏切らないとさえ信じています(それでひどい目に遭った人を知っていますが)。
私の友人に高麗建国(936年)に功績のあった慶尚道(すなわち旧新羅)出身の将軍の一族につながる人がいます。この将軍の一族は高麗時代には高位を得ていたようですが、約500年後に高麗王朝が滅亡(1392年)すると次の朝鮮王朝では、恨みを受けて一族全体がソウルどころか山奥に逃げ込まざるを得なかったようです。
その一族が解放されたのはまたしても約500年後の朝鮮王朝の滅亡(1910年)を待たなければならなかったということです。
高麗建国に関わった一人の将軍によってその一族が500年の栄耀と、今度は500年の衰亡の運命をたどることになったとすれば、恐ろしいことだと言わねばなりません。その将軍に関わる一族の人数を300万人とすると、その多数がこの1000年の栄枯盛衰の運命を共にしたことになります。
この点、日本では朝鮮からの亡命の渡来人が多いためなのか、余り過去を問い詰めない傾向があるようです。私の祖先は福岡県あたりに住んでいたのですが、その当時は交流が盛んだった済州道の「髙氏」につながると勝手に思っています。
この髙氏は、高句麗の王族であったのですが、高句麗滅亡(668年)のため、追及を逃れて済州道経由で、九州北部へ移動したのだろうと考えています。このような経過からも私も高句麗からの亡命一族のはしくれだと思います。亡命者は先住民に気を使い、信頼を得るようにしなければなりません。
私がサハリン残留韓国人問題に関わり始めて驚いたことがあります。一族というか家の継続に対する執着です。本連載の第6回でも登場した劉好鐘さんは自分は三代独子にあたるので、何としても男子を得なければならない。それが自分の生きる意味だというのです。3代続いて一人っ子なので、親族からの養子を得ることができず、自らの子供それも男子を作らねば家が断絶する、そんなことになれば祖先に対して申し訳ない、ともいうのです。
ところが、この人がサハリンから韓国の妻のところへ戻された時には、すでに二人とも60歳を過ぎており、子どもをつくることはありませんでした。ここまで遅れてしまったのは日本の責任であり、このような点からも日本は罪深いことをしたものだと思います。
ところで日本では火葬が一般的ですが、韓国では土葬がまだ多いのです。その墓を守り、維持するのは跡継ぎの役割なのです。
私も韓国の山に入ることがありますが、墓と思われるこんもりした土盛りがよくあります。墓石はなく、墓誌も見当たりません。つまり、跡継ぎがないと誰の墓なのか分からなくなってしまうのです。こんな親不孝はないといえます。
先祖を大切にする韓国社会で墓参りは日本よりも重視しているはずですが、なぜ墓石も墓誌もないのか今もって理解できないのです。
いずれにせよ、先祖を大切にし、今の自分と一体化するのは、中国と儒教の影響です。その点、亡命人によって成り立っている日本は儒教の影響が弱く先祖からの拘束も少ないため、一族意識も薄弱といえます。