新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第54回 伴野麓

日付: 2024年10月01日 11時03分

 日本史学界は、『日本書紀』の記述を絶対視し、日本民族を日本列島自生論で論述し、渡来人の存在を7世紀以降とみなし、太古の渡来文化を否定している。そのため魑魅魍魎の古代史が現出、『日本書紀』の誤魔化しが見抜けず”幻の大和朝廷”に振り回され、自己撞着に陥り、その混迷から抜け出せないでいる。
換言すれば、真実を求める歴史の研究ではなく、古代の日本は韓地を領有していたというとんでもない仮想を原点とする政治目的から歴史を創作している。そのような歴史に対する誤った認識が、江戸時代末期に征韓論を生み、韓国併合という暴挙に現われたと思われる。そのような歴史の誤りを糺すために、真実の歴史を明らかにする必要があるのだ。
日本史学界は、自国史の起源すら曖昧模糊の世界に押し込む。歴史を検証して真実の歴史を求めようとする姿勢は感じられない。真実を見極めるという人間性を回復し、真の歴史を復元しなければならないと思われるが、軽薄短小な世相にあるとされる現在、人間性喪失の虚妄な風潮が蔓延し、倭寇精神の復活を思わせるような乱雑な思考が大手を振って闊歩している。そのような思考精神は、歴史偽造の邪な欲情に通ずるものであり、先祖のそのまた先祖に唾する非人間的な行為そのものと痛感せざるを得ない。
『記・紀』の記事は矛盾が多いと指摘されているのだが、どうしてなのかを問えば、韓地からの渡来を隠蔽するために、さまざまな事績が年代を超えてばらばらに挿入された疑いが大いにあるためだ。つまり”韓(から)隠し”によるものだ。それらの事績を拾い出して『三国史記』や『三国遺事』、あるいは中国史書を参考にして検証しなおせば、一本の大きな糸に編まれていくことを発見するだろうと思われる。『日本書紀』を絶対視する史観では、真実の歴史は見えてこない。
吉田東伍著『大日本地名辞書』巻末に「現在の大阪市生野区地域は、むかし百済郡と呼ばれ百済橋、百済川、百済寺等白馬江日韓混成軍の敗戦以来、百済人の日本渡来が急激に増加し、近畿の野山はまさに、百済の人びとを迎えるに忙しく、その影響下にある仏教・大陸文化の洗礼を必然的にうけるようになった。生野区がそれらの地域の一つであり、今にその伝統を受けついでいる。博士王仁は、これらの動きとはその質を異にするが、応神帝に迎えられて渡来するや皇太子のよき師となり、その後、帝政治の真髄ともいうべき”君民一体”の仁徳帝のご仁政の基礎を築いた。その師弟のお二人を祭神として、爾来約千年有余、今に到るまでお祀りしている神社が、高津宮そのものである」と述べている。
それらの百済が明治以降に恣意的に隠蔽され、王仁博士の存在が架空のごとく扱われているのは、まことに残念というほかない。


閉じる