秋分を過ぎたあたりから、両都市の空は澄み渡り、涼やかな季節となる。ソウルでは10月中頃から北漢山の木々が色づきはじめ、その後は市内の街路樹も染まっていく。
徳寿宮石造殿東館
ソウルの町中で紅葉を楽しむなら故宮が美しいが、東京でいうなら皇居がそれに相当するだろう。皇居では東御苑や北の丸公園は気軽に訪れられる都会のオアシスだが、その時期はソウルより遅めで、師走に入っても見頃が続く。
中国の紫禁城に倣い、左右対称に建物が配置された朝鮮王朝の正宮・景福宮には樹木は多くないが、なかでも八角亭の香遠亭は紅葉の名所だ。ここは王や王族が休息をとった場所で、その亭が水面に映り、その池のほとりに真っ赤な紅葉が映える美しいロケーションだ。
そんな景福宮は近代史の悲劇の舞台でもある。1895年10月の早朝、景福宮の北端にある乾清宮が、日本公使の三浦梧楼らにより襲撃され、時の王妃・閔妃が惨殺された。あたりは血の海となり、遺体は焼かれ、その灰は香遠亭の池に投げられたともいわれる。26代王・高宗はその後、ロシア公使館に逃げ込み、97年に大韓帝国を樹立すると、その近くの徳寿宮を皇宮とした。徳寿宮の紅葉も見ごたえがあるが、南側の石垣道は、秋に歩きたい名所だ。バラード歌手・李文世が歌う名曲「光化門恋歌」にも登場するが、カップルでここを歩くときには、そのジンクスを覚悟しておこう。開化の流れを受けた徳寿宮内には、洋風の建築が多く、高宗が休息をとったテラス付きの静観軒はロシア人の設計、今は大韓帝国歴史館となった石造殿東館はイギリス人による設計だ。韓国の宮殿だが、西洋の趣が感じられる。そこからは明治期に皇室の庭園となった新宿御苑を連想させる。御苑内の旧洋館はアメリカの建築様式で、旧御凉亭は台湾閣とも呼ばれ、中国風建築だ。王宮と同様に新宿御苑も一般に開放されている。
東京にある洋風建築のなかで韓国との関連が深い場所といえば、紀尾井町にある”赤坂プリンス クラシックハウス”である。これは1930年に建てられた旧李王家東京邸であり、朝鮮最後の皇太子の李垠殿下と、日本の皇族出身の梨本宮方子妃が暮らした場所だ。現在はレストランが運営されており、フレンチやアフタヌーンティーが味わえるほか、結婚式ができる宴会場が運営されている。紀尾井町はかつての大名屋敷の土地柄からか、エレガントな雰囲気が漂う。ソウルならば景福宮や北村の韓屋のお屋敷街に近接する三清洞付近のようで、秋には銀杏並木が美しい。紀尾井坂の銀杏も美しいが、東京都内では神宮外苑の銀杏並木は圧巻だ。
旧李王家東京邸
李殿下夫妻は戦後には日本での王公族としての身分を失い、63年からは韓国に渡って昌徳宮で暮らした。方子妃は夫と死別したあとも韓国に残り、89年に楽善斎でその生涯を終えた。このことは在日コリアン2世の田月仙による企画・本人主演のオペラ「ザ・ラストクイーン~朝鮮王朝最後の皇太子妃」にも描かれている。
その昌徳宮はユネスコ世界遺産に登録された王宮だ。王や王族の休息の場であった後苑は”秘苑”とも呼ばれ、自然の地形をそのまま活かして建物が配置されており、秋の木の葉が色づく季節が美しいことは言うまでもない。昌徳宮は景福宮が文禄・慶長の役で焼失したのちに正宮となり、その後約270年間にわたって政務が行われた。ちなみに景福宮が再建されたのは高宗の時代になってからだ。
故宮の散策は秋の紅葉の季節も素敵だが、徳寿宮や昌慶宮は毎日21時まで開場され、ライトアップされた宮殿は美しく趣深い。また景福宮では春・秋に夜間開放が行われている。東京では皇居の一般参観は日中に限られるが、皇居外苑の桜田門や和田倉噴水公園のライトアップは毎日行われるので、立ち寄ってみたい。
吉村剛史(よしむら・たけし)
ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、百都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。23年から(一社)日本韓食振興協会会員。