韓国左派から「南北統一」を放棄するという爆弾発言が出た。文在寅政権で2018年、南北首脳会談準備委員長を務めた任鍾晳(イム・ジョンソク)元議員が「南北が統一議論を続けるのは不可能。統一を捨てて平和を選択しよう」と主張した。
任氏は、学生運動家として民主化運動、統一運動に関わり、1989年に北韓で開かれた第13回世界青年学生祝典に女子大学生・林秀卿を派遣し、国家保安法違反で実刑判決を受けた。冷戦構造の崩壊とリンクして、韓国左派や在日本朝鮮人総連合会(朝総連)で南北統一の機運が最も高まった時代だった。当時、筆者は朝総連傘下の留学同(朝鮮留学生同盟)に所属していたこともあり、一連の動きが韓半島に大きな変化をもたらすのではと思われた。しかし、この高まりは金日成主席の死去や大飢饉を通じて北韓のメッキが剥がれるなか、急速にしぼんでいく。任氏はその後も、議員や在野の立場から統一を主張してきただけに「統一を捨てよう」発言は、左右問わず統一論者からすれば背信となる。果たして発言の真意はなんだろうか。
任氏の主張を要約すると「南北が統一議論を続けるのは不可能だから統一を捨てて平和を選択しよう」「統一に対する志向と価値だけを憲法に残す」「国家保安法を廃止」「2国家状態を維持し南北協力で韓国の経済地平を拡大する」だが、平和のためというよりは金正恩体制存続を目的とした詭弁に聞こえる。このタイミングであえて方向転換したのは、昨年末から今年にかけて金正恩総書記が「断韓宣言」をし、北半分だけの金正恩政権を構築しようとしていることに加え、尹錫悦政権の「統一ドクトリン」があるようだ。尹大統領は、今年の光復節で「統一は必ず解決しなければならない重大な歴史的課題」「韓半島全体に、国民が主人である自由民主統一国家が作られて初めて完全な光復が実現される」「我々の統一ビジョンと統一推進戦略を、韓国の国民と北韓の住民、国際社会に宣言する」とアピールした。韓国として極めて当然の主張だが、金正恩体制がこのような主張を受け入れることは絶対にあり得ない。「統一を目指す韓国」と「統一を拒否する北韓」という構図が定着すれば、親北勢力の統一論は一気に無力化する。そういう意味では、金正恩氏の断韓宣言は韓国の親北勢力に対する絶縁宣言だ。任氏の発言の裏には、左派勢力が韓国内と北韓の支持を完全に失う前に、あえて金正恩氏に同調しながら南北問題における存在感を示す思惑があるようにしか見えない。しかも左派勢力のお約束だが、任氏も平和を主張しつつ北韓住民が金正恩体制による抑圧に苦しんでいることに触れようとしない。
実は筆者も任氏と同じく、統一はやめて2国家をめざすべきという立場だが、どうやら動機がまったく違うようだ。金正恩体制では、自由と民主主義を標榜する敵国・韓国と対立することこそが、独裁体制と核開発を正当化するレゾンデートル(存在意義)だ。逆説的にいえば、北韓が一国家になれば、金正恩体制のレゾンデートルは大きく揺らぎ、住民を抑圧する正当性も無力化される。北韓が民主主義国家として生まれ変わるためにも一度、双方の関係を整理する必要があるのではなかろうか。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。