歴史偽造の姿勢は、現在の歴史教科書の問題にも引き継がれているといっても過言ではない。
〔神功紀〕
神功=卑弥呼は金銀に目がくらんだ反逆女
神功は、渡海大王であることを象徴したとされる神武・神功・崇神・応神という”神”がつく4人の大王の1人でありながらも、正規の大王称号と大王歴代数に数えられなかった。その神功の奇しき運命こそが、反逆女であることを雄弁に物語るものだと考証されている。
〈神功紀〉を読み解けば、三韓征伐譚などはとんでもない創作であることが明らかになるのだが、為政者は、そのデタラメな神功の三韓征伐譚を正規の教育で教え込み、今なおその教育を踏襲している感がある。
神功はまた夫の仲哀を裏切って沸流百済に寝返り、さらにまた、その沸流百済を裏切って、魏の権威を借りるという反逆女の人生を歩んだことを突き止めた。それは、真実の歴史に一歩近づいたと信じている。
デタラメな三韓征伐譚を正当化し侵略史観を増幅
『日本書紀』の支離滅裂な記述などは、常識で考えてあり得ないことで、『記・紀』の編著者らは才能豊かで、プライドの高い人物だったと思われるのだが、そのような人物が後世に訳のわからないような史書を残すはずがない。
それを物語にしたのは為政者らであり、さらに後の世の改竄によって、『日本書紀』の登場人物は、多重人(神)格になってしまったと考えられる。その多重人(神)格の糸のもつれを一つひとつ解きほぐし、正常な人(神)格に復元しなければならないのだ。
ホアカリ=ニギハヤヒの場合、後世に何らかの理由でその都度ごとの改竄を受け、時には国家的次元で巧妙に、多重人(神)格にならざるを得なかったのだろう。だが結局、同一人(神)格ということに落ち着いたと見られる。
国家的次元の改竄の最たるものが、江戸時代の国学から征韓論へと結びついた明治政府の皇国史観からの改竄であろうと思われる。
巧妙すぎて、明確な証拠をあげることは困難だが、『桓檀古記』の著者が指摘するように、伊藤博文の朝鮮古史書抹殺政策、あるいは『日本書紀〈神功紀〉』の新羅征討譚・広開土王碑文・石上神宮七支刀を3点セットにして改竄した例など、その状況証拠はいくらでも存在している。