新字体とは何か
新字体とは戦後の日本で新しく変更作成された簡易字体のことである。それ以前に使用されていた字体を旧字体という。この簡易字体使用の流れは、明治の文学者の一派が、書き言葉と話し言葉を一致させる運動を起こしたことに端を発する。江戸時代までの私的文書では、誤字・譌字・略字などの使用が比較的ゆるやかだった。その字を正式な字に昇格させようとしたのである。
それが1923年に臨時国語調査会が発表した「常用漢字表」の「略字表」である。戦後はこれに拍車がかかった。GHQの漢字廃止の圧力と大手新聞社の活字合理化の圧力の双方が後押ししたからである。その急先鋒となったのが国語審議会であり、その中核を成したのが漢字廃止を前提としたローマ字論者たちであった。
新字体の作成方法は、第一に、旧字体の旁を同音の画数の少ない文字に統一すること。第二に、複雑な部分を省略した記号に置き換えるというものであった。彼らは漢字の語源を理解していなかった。そのため、似たような漢字を部首さえもわからずに統合させてしまった。斯くして、世にも不思議な意味不明な漢字が出来上がったのである。中国や韓国でもこれに続くこととなった。
新字体採用の名目は、識字率向上や学習の平易さにあったはずである。ところが、画数の少ない漢字をも原意不明に改造してしまい、それにより漢字の学習を逆に困難にさせてしまった。『氣』を『気』に変更して画数がどれぐらい減ったというのだろう。『佛』が『仏』になったからといって本当に便利になったのだろうか。『步』に至っては『歩』というように画数が増えてしまった。全く変更の論理に一貫性がなく、漢字を破壊したとしかいいようがない。そのような文字を現代の私たちは使用しているのだ。漢字の原意を取り戻す意義はまことに大きい。
『教』と『孝』
『教』と『孝』は全く違うルーツを持った漢字である。にもかかわらず、インターネットの漢字語源辞典などでは混同されていることが多々ある。その原因は新字体にある。新字体で『教』に変更されたため(旧字体表記は、図の中段参照)、あたかも『孝』と『教』が関係があるように思えてしまうのである。
『教』の成り立ちは、『孝』+『攵』ではない。『教』の本来の字の成り立ちは、『爻』+『子』+『攵』なのである。金文、甲骨文字とたどっていけば、その違いは霞が晴れるごとくに明らかになる。漢字は表意文字である。だから本来の漢字には線の一本にまで意味が存在するのだ。
『爻』は易の用具である『爻』を表すが、甲骨文字を見れば建物の屋根の千木が原意であることがわかる。この千木は古代の集会所を表した。『攵』は『攴』であり、強く叩く姿を表す。即ち、子供を学校で修練している姿が本来の意味なのである。
対して『孝』は、『耂』+『子』で、子供が老いた親を養う情景を描いた漢字となる。『耂』は髪の長い老人の姿だ。同系統の漢字に『老』がある。『老』の『匕』は『真』の旧字体の『眞』の上部にある形と同じで、人が転倒した姿を表す。死に近い意で老人を強調する。
『教』は「子供を鞭打って修練する姿」で、『孝』は「老いた親をいたわる姿」。まったく正反対の漢字なのである。教えを受けることは本来厳粛なものであった。今の『教』の場は果たして厳粛な場になっているのだろうか。そして、親に対する『孝』を有名校に進学することと摺り替えてはいないだろうか。振り返ることが必要な時である。
(つづく)
水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。