強力なリーダーシップとそれを支える強力な体制を揺るがす力は、通常の政治活動を通じて蓄積できるエネルギーではない。1970年代後半の韓国社会には権力を追求する政治勢力の外、平壌側の工作などによって社会主義革命を夢見る勢力が存在した。すでに繰り返し言ってきたように、この2つの勢力は結合し始めた。
さらに、韓国が米国の統制から抜け出すことを望まないワシントンの政治家たちは、韓国に対して米国の制度と基準を要求した。朴正煕大統領は、韓国の実状を無視した米国の要求に抵抗したが、朴正煕の力量に限界が現れた。国内外の圧力のため、軍事革命以来機能してきた反朴正・反体制抵抗を制圧する装置が様々な要因で徐々に機能できなくなり始めた。
「維新体制」を企画、支えたのも情報機関だった。大統領直属の中央情報部は、5・16革命直後から反革命動きを早期に発見、制圧することが主要な務めだった。KCIAと呼ばれた中央情報部の任務は反革命摘発・制圧だけがではなかった。最優先は、共産全体主義と闘争、自由民主体制の憲法を守護することだった。
中央情報部は6・25戦争が休戦となり、戦争が「熱戦」から「冷戦」化するや現実的にこの冷戦を戦う主力、司令塔になった。韓半島冷戦の展開は実は単純だった。金日成の朝鮮労働党は、休戦になるや軍事力の再建と同時に政治戦争を展開する態勢構築に着手した。国連軍の後方基地である国連軍司令部の後方司令部を無力化、破壊することが緊急課題だった。平壌側は最優先に日本に朝鮮労働党日本支部を整備、再建した。
韓国で反共軍事革命(5・16)が起きるや、金日成は「4大軍事路線」と「3大革命力量強化」を掲げて韓米同盟に対抗した。3大革命力量強化という戦略戦術は、米国と覇権を競うモスクワの世界戦略にも応えるものだったため、共産権全体の全面支援を受けることができた。55年に再建された「在日党」(朝総連)に付与された任務も当然、3大革命力強化だった。
平壌の立場からは、韓半島赤化の障害物は、大韓民国憲法を守護する装置を除去、無力化することだった。大韓民国の自由民主体制を支える装置は、国軍と国家保安法と韓米同盟だった。中央情報部は国家保安法を実行する主体、冷戦の戦士だった。
このような状況から出た平壌側の戦略・戦術のスローガンが、国家保安法廃棄、(その実行主体で冷戦司令部の)中央情報部解体、韓米同盟の象徴でかつ主力である在韓米軍の撤収だった。金日成の最も単純で強力なスローガンだ。
現代的な国家情報機関がなかった韓国の革命政府は、中央情報部を創設することで、初めて東西冷戦の最前線でイデオロギー政治戦争冷戦を戦える態勢を整え始めた。日本にある国連司の後方司令部は政治戦争では冬眠状態に入った反面、平壌側の戦線司令部である労働党日本支部(朝総連)は、「北送工作」を推進し日本社会に根を下ろしだ。これを牽制、制圧するのが中央情報部の緊急課題だった。
中央情報部に最初に作られた海外工作課の任務がまさにこの朝鮮労働党在日党(朝総連)と戦うことだった。中央情報部は、貧弱な資源と国際的支援なしに冷戦を戦う方法から学び、朝鮮労働党の攻勢に耐え、反撃に出る。冷戦では軍隊(国軍)は抑止力なので共産全体主義と戦う主力は情報機関となった。このことをよく分かった朴正煕大統領は中央情報部を金日成との戦いで主な武器として使用するしかなかった。
(つづく)