郷歌制作法で解いてみよう。郷歌制作法は、韓国と日本に残されている郷歌をすべて解読できる怪力の道具である。本当の万葉を現す。
新年が始まったよ。
きっと、家々に施し盛るようにせよ。
そうして、人々が踊るようにせよ。
きっとあなた方も、夜遅くまで施し繁盛するようにせねば。施さねばならない。
他の人々も力強く走り出さねば。
皆が夜遅くまで働き民に施そうと期している。これは、国家が持ち得る最も尊い配慮と思われる。円熟した技量で作られた最高の内容が万葉集の最後の作品として収録されたことで、万葉集が不朽の価値を持つようになったのだ。
4516番歌は、因幡国の国守だった大伴家持が759年1月1日に作った。その日、因幡国の役所では新年会が開かれていた。国守自身が率先垂範するから、すべての官吏も民の世話をしようと頼んでいる。ときは淳仁天皇(在位758~764年)の即位直後だった。新たな出発を誓う雰囲気が国中に溢れていたことだろう。
編纂者は大伴家持のこの作品をもって万葉集を仕上げた。
「万代の子孫まで、皇統を継がせてください。そして民の暮らしを温かく世話できるように庇護してください」と万葉の神様に祈り、万葉集を終えたのである。
これが万葉集の主題だった。これこそ万葉集という名前の持つ意味だと思う。郷歌の視点から見るとそう考えられる。
万葉集の最終編纂者として大伴家持が挙げられる。彼は785年に他界したが、その15年前、天智天皇の直系の孫である光仁天皇が即位した。光仁天皇は、壬申の乱で途絶えていた天智系の皇統を99年ぶりに復活させた。そして大伴家持の死去の4年前に桓武天皇が即位する。天智系の皇統が盤石となる。
大伴家持死去に先立ち、天智系皇統の復活があり、万葉集に重大な体制の変更があった。それが何だったのかは、折々述べていく。
この体制の変更に大伴家持は介入したのだろうか。彼は語らない。万葉の秘密は飛鳥川の濃霧の中に姿を隠している。
万葉集の1番歌をもって万葉の夜が明けた。初期の作品はどのようなものだったのか。驚くべき万葉の世界へ皆さんを案内する。
「無価の寶」(むげの宝)、万葉集4516番歌
<了>