京都国際が甲子園初優勝

球場100周年を飾る快挙
日付: 2024年08月24日 14時50分

兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で8月23日、第106回全国高校野球選手権大会の決勝戦が行われ、京都国際高等学校が関東第一高等学校(東東京)に延長十回タイブレークの末に2‐1で勝利、初の日本一の座に輝いた。

8月7日に開幕した第106回全国高校野球選手権大会が23日に閉幕、京都国際が3回目の出場で、初優勝の栄冠に輝いた。今大会の入場者数は総計で67万800人、最終日には3万6000人が会場に駆けつけた。
京都国際は、大韓民国建国の前年に創立した京都朝鮮中学校を前身とする。1958年に学校法人京都韓国学園として認可され、野球部は99年に創部。初の外国人学校硬式チームとして日本高野連に加盟。2004年に現校名となり、日本の教育課程を学ぶいわゆる”一条校”に転身した。

■白熱した接戦


京都国際と関東第一の決勝戦は、九回裏まで0対0の続く投手戦の緊迫した試合展開となった。
両チームともに投手が好投、守備は堅固。九回までに、何度か出塁機会は双方に訪れたが、結果的に得点に結びつかなかった。
十回以降の攻撃を「無死、走者一・二塁」から開始する大会規定(タイブレーク)が勝敗を決める要因となった。
優勝後のインタビューで小牧憲継・京都国際監督が語ったように、今大会を2人で投げ切った中崎琉生・西村一毅両投手の好投、彼らに全幅の信頼を寄せるチーム全体の組織的な強さが、優勝を呼び込んだように感じた。

8月23日、深紅の大優勝旗を68年ぶりに京都にもたらした京都国際の選手たち(写真=産経新聞社)

 

 

 

 

 

 

■在日社会から祝福の声


熱戦の様子をアルプススタンドで見守った観客の中には、さまざまな人の姿があった。
学校関係者からなる応援団の中には出場選手たちの保護者や、幼い頃から彼らを指導してきた野球クラブの関係者の姿があった。また、夏の風物詩である甲子園の最終決戦を見るために、遠方から訪れた多くの観客の姿も目を引いた。
京都府地方本部を中心とする在日本大韓民国民団の関係者も球場に多く集まった。婦人会京都の会員だけでも約30人がアルプススタンドで観戦したと鄭年子会長は話す。また、京都国際を母校とする人の中に「自分たちの頃はまだ野球部自体がなく、創部のための働きかけをしていた。今日のような光景が見られて本当に嬉しい」と語る人がいた。
都内の民団中央本部から金利中団長が、駐日本大韓民国大使館から朴喆熙特命全権大使が甲子園を訪れて熱いエールを送った。
優勝が決まった直後に本紙がインタビューした京都国際の李隆男理事長は、「私から言えることは何もない。最後まで戦い抜いた選手たちを称えて欲しい」と話した。
かつて民団の静岡県地方本部で団長の経験もあるという在日韓国人3世の李宜弘さんは、「校歌をめぐる報道があり、応援に行かなければという思いで球場に来た。グローバル化していくこれからの未来を考えれば、どこの国の言語の校歌が流れようと差別的な意見が出されるべきではない。こういったことが話題になることで、平和や自由民主主義の尊さをもう一度考える機会になっていくことを期待している」と語った。
大阪に拠点を置くナポリビルディングの申俊雨取締役会長は、「緊迫した胸高鳴る素晴らしい試合だった。老齢の身が興奮で若返ったようだ。高校野球100年の節目を飾るにふさわしい名勝負であった」と選手たちを称えた。


2日、京都国際高校の体育館で優勝報告会を開催。在校生やその保護者、歴代の京都国際学園の理事長、政界関係者をはじめとする来賓、在日韓国人団体関係者ら、約200人が集まり選手たちを祝福した。
当日の進行は、開会の辞(選手入場)、全国大優勝旗授与、選手紹介、白承桓校長のあいさつ、来賓祝辞、祝電披露、在校生からのメッセージと動画上映、選手代表謝辞(藤本陽毅主将)、監督謝辞、校歌斉唱、閉会の辞(選手退場)の順で行われた。
白校長はあいさつの中で「先輩たちは後輩に学校の野球の精神を伝え、後輩たちも野球部の伝統を守り野球を愛する姿を続けて欲しい」と話し、小牧監督は謝辞の中で、「選手たちの頑張りを尊敬している。ただ、甲子園優勝を人生のピークにして欲しくはない。この経験を糧にして次のステージへ羽ばたいて欲しい」と述べた。

2日、京都国際の体育館で行われた優勝報告会の一幕。白承桓校長がチーム代表の藤本主将から大優勝旗を受け取る

 


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