「新羅郷歌制作法」に基づいた日本古典の解読が、古代史研究のカギとなる実例として、今回は『日本書紀』の一部を紹介して、その意義を検証したい。郷歌は『日本書紀』に123首、『古事記』にも112首が載せられている。
660年12月24日、斉明天皇は、唐と新羅に挟撃されて滅亡寸前となった百済を救うために出征した。
その旅路は、斉明天皇にとって不帰の道となった。数カ月後、筑紫の陣中で斉明天皇は崩御される。
国中に徴発令が出され、出征に向け大規模な兵力が動員された。軍糧米を取り立て、水軍の船を建造し、さまざまな武器が作られたはずだ。戦のただ中で、ある者は兵役を逃れ、ある者は税金をごまかして少なく納めたはずだ。公平性への不満により、国中が騒然となった。
そのとき、童謡(わざうた)が聞こえてきた。子どもたちが、ガチョウ(鵝)が鳴くように大声で歌いながら飛鳥の裏通りを回った。『日本書紀』は、この歌が敗戦の兆しのようだと記している。書紀を記した者の視点が働いた記述だろう。
日本と韓国の歴史家たちは、この童謡に深い関心を傾けている。しかし、これまで誰もがこの童謡の内容を分からずに、さまざまな推測があっただけだった。『日本書紀』をよく読んでみれば、この作品をきちんと解読できていないことにすぐ気付くはずだ。
これまでの解釈はこうだった。
「マヒラク、ツノクレツレ、オノへタヲ、ラフクノリカリガ、ミワタトノリカミ、ヲノへタヲ、ラフクノリカリガ、カウシ卜ワ、ヨ卜ミ、ヲノへタヲ、ラフクノリカリガ」
「背中の平たい男が作った山の上の田を、雁どもがやってきて食べた。天皇の御狩りが疎かだから雁が食うのだ。御命令が弱いから雁どもが食べたのだ」(征西軍の成功しないことを諷したものと思われるが、未だよく解明されていない)
続いて「郷歌制作法」の解読を提示しよう。郷歌は、願い事を叶えてくれる呪術の力を持った歌だ。童謡の正体は、郷歌の持つ力を利用して徴発令がもたらした民心の離反を収拾しようとして作られた歌だった。
摩 比 邏 矩 都
(骨が)すり減っても平等に巡邏をやらねばならない。
「摩」は「骨がすり減る」という意味だ。「比」は「平等」である。「巡邏」は、骨がすり減るほど辛い仕事でも、差別なく平等にやらねばならない、という意味だ。「邏」は警戒のため巡邏(じゅんら)する、奔走する・走り回るといった意味だ。「矩」は力いっぱい櫓を漕げという指示語となり、郷歌ではこのような指示語を「報言」と呼ぶ。
紙面の制約があり、以下では詳細な解説は省略し、解読の結果だけを示そう。
能 倶 例 豆 例 於
当然「一緒にやれ」というのが先例であり、典礼だ。
能 幣 陀 乎 邏 賦 倶
当然、金を出すにも坂道を巡邏するにも、納税は一緒でなければならない。
能 理 歌 理 鵝 美 和
当然、政治が歌われ、称えられるなら(民と)和合することになる。
陀 騰 能 理 歌 美 烏
(そうすれば)坂道を走っても当然、政治が歌われ、称えられる。 能 陛 陀 烏 邏 賦 倶
当然、宮廷で侍立するのも、坂道を巡邏するのも、国に仕えるのは一緒でなければならないよ。
能 理 歌 理 鵝 甲 子 騰 和 與 騰 美 烏
(そうすれば)当然(天皇の)政治が歌われ、最上になるよ。坂道を走っても和合し、坂道を走っても称えられる。
能 陛 陀 烏 邏 賦 倶
当然、宮廷で侍立しても、坂道を巡邏しても、納税をしても、皆一緒に負担しなければならないよ。
能 理 歌 理 鵝
(そうすれば)当然、政治が歌われ、政治が(称えられる)。
百済救援軍の派兵のため徴発令が出された660年の状況と、歌の内容が一致している。政治を公正にしてほしいという願いの歌だったのだ。古代万葉の神様は、この願いを叶えてくれたはずだ。
古代史の謎が解ける重要な道具としての「制作法」を私たちは手に入れた。日本の古代史の謎を解くツールになってほしいと切に願う。