「万葉集の話」解説

その歴史と転換点
日付: 2024年08月15日 04時17分

 郷歌は、『三国遺事』や『均如伝』(正確には『大華厳首座円通両重大師均如伝并序』)など、韓国の古い文献に記録された古代韓半島の歌だ。近代以前にはその内容が知られていなかったが、小倉進平・京城帝国大学教授(後に東大教授)が1929年に『郷歌及び吏読の研究』を通じ、当時知られていた郷歌25曲を解読したと発表。この研究に接した梁柱東は、1937年に「郷歌解読、特に願往生歌について」を発表、小倉教授の解読に大きな誤りがあると指摘。以後、進展のあまりなかった郷歌研究に対し、画期的な再発見・提唱をしたのが金永會室長だ。
「郷歌制作法」の特徴は、漢字で歌われているそれぞれの歌が、劇の演目や舞踊の台本として、新羅の時代には生きていた郷歌”創造”者の意図を盛っていたと考えるところにある。従来の研究が表音文字として漢字1文字ずつを解釈したのに対し、金室長は特定の漢字が表意文字と表音文字を兼ねている法則を発見、これに(1)歌詞(2)請言(3)報言という名称を付して分類し直した。『万葉集』に収められた歌(全4516首)にも同じ漢字の解読法を適用できるという立場から、金室長は「万葉集は郷歌だった」と提唱している。

  ◇「郷歌」と人びとの願い
郷歌は、古代韓半島語を基盤に作られた作品で、踊りと歌が結合した楽曲、歌で書かれた歴史であり、古代文化の原型だった。
郷歌の解読のため40年以上苦闘してきた金室長はある日、『三国遺事』に収録された「願往生歌」の原文に書き込まれた双行注「鄕言云報言也」に注目し、郷歌の構成要素の一つである「報言」の存在を発見した。韓日の専門家が解読に取り組んで以降、100年ぶりの大発見、転換点となった。

  ◇古代韓日語は語順が同じ
金室長の研究結果をまとめると、郷歌は、韓国語の文法・語順で表記されている。郷歌制作法は(1)郷歌の文字は表意文字、または多機能(重義的)文字として機能(2)郷歌の文章は歌詞+請言+報言で構成(3)歌詞は韓国語語順で表記された原則を確認、証明した。つまり、古代韓半島語の表記法が、古朝鮮→高句麗→伽耶→新羅→百済→高麗→朝鮮につながり、1446年のハングル創制に至る。 
韓半島の古代表記法は、新羅時代の碑石である「花郎誓記石」(国家遺産宝物)でも確認される。「誓記体」は表意文字、韓国語の語順法、助詞や語尾を省略し、文章の大胆な省略などが特徴だ。また、古代の記録は美化法を特徴とする。
郷歌は、甲骨文字を使用した古代人たちが、その文字を歌の記録に使ったことから始まる。実際、『万葉集』が古代韓半島語で書かれた可能性については、専門家はもちろん、万葉集に関心を持つ人であれば一度は耳にしたことがあるだろう。

  ◇自然に対する畏敬の念
要するに、日本列島で使われた古代語がどんなものであったかを究明、理解しようとする努力が必要だ。『万葉集』は古代日本語の語順で書かれ、漢文の語順に倣ったものではなかったという立場を私たちは取っている。
文字について話をする前に、まず当時の時代背景について考えてみよう。『万葉集』(郷歌)を理解、楽しむための前提と考えて欲しい。
古代人は人間を自然の一部、脆い存在と捉えていた。対照的に現代人は、自然を管理・克服・改造の対象として考える。古代人は願い事があれば、神に求め祈った。その儀礼は、ほとんどすべての文明で共通して表れる。
来世観について考えるうえで重要なのは葬儀だ。古代人は人間の霊魂は消えず、死後の世界に向かう過程を大切にした。現代人の多くが来世など信じていないのとコントラストをなしている。
国家の形が整い始めた古代は、最高権力者を中心に戴き、王だけが祭典の儀式を司ることができた。祭典の儀式や国家を統治するために歌は極めて重要なものだった。

  ◇「漢字」についての誤解
絶対権力者らは、自らのことが記された歴史書の記録にも干渉した。このような事情が分かってこそ、歌というものの本来の性格を知ることができる。古代の原始信仰だけでなく、その後に習合する仏教の来世観などを知ることで、韓半島と日本の古代史の記述を正確に捉えられるようになる。『古事記』『日本書紀』『万葉集』の背景・舞台となる日本全国の数多くの神社も、日本の古代史や古代文化の価値をよく保全している。
漢字の中には中国から入った用語・用法もあるが、長い年月を経て現地で生まれた言葉もある。近代化以後に日本で作られ拡散した漢字語も多く、現代人の方が前近代を勉強するのに不利だ。韓国の場合は、15世紀に『訓民正音』が書かれて固有の文字(今日のハングル)が誕生する以前、自国語を漢字で表記した。
当時を生きた人びとの感覚からすれば、それらの単語は韓国語として用いていたのであって、中国語として使っていたということではなかっただろう。「東アジアの共有文字」ほどの感覚で捉えておくべきだ。


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