私が出会った在日1世~革命家・金時鐘の歩いた道④ 安部柱司

「猪飼野詩集」に見る金日成への違和感
日付: 2024年07月31日 07時09分

 神戸港税関の記録に、大陸から共産党の活動を手助けする「文書」が入っていたとある。
朝鮮戦争中に日本へ向けて、米国、米軍を強く批判、非難する「文書」が神戸港から陸揚げされていた。国際共産主義運動の一環として、これらの「文書」類は中国の瀋陽で印刷された。

それら大量の「文書」類は香港経由で神戸港へ送られ、関西在住の南朝鮮労働党(日本共産党員)の手で配布されていった。その中には米軍の細菌兵器の使用を強く非難する冊子も入っていた。むろん、米軍が細菌兵器を使用したというのは偽情報であった。だが、国際共産主義運動は偽情報を日本へ流すことで米軍を牽制した。
その中の神戸港へ陸揚げされた朴憲永の檄文を、金時鐘は手にしていたことであろう。

金時鐘は、朝鮮戦争の始まる直前に日共党員となっている。当時、日共の東北地区の指導者として仙台に在住していた玉城素師は「福島県下には共産党が二つあった。仙台からの指導が貫徹しなくて苦労した」と、後年にNK会で述懐している。
福島県下に南労党の党員が潜入して4・3事件に呼応していた記録もあり、玉城素師の述懐を裏付けている。だから、関西へ潜入した金時鐘も二つの共産党、南労党と日本共産党の二つに所属する革命家として行動していたのであろう。

この時代の金時鐘が朴憲永の指導下にあったことは「猪飼野詩集」に反映されている。そこでは、革命家・金時鐘の金日成への違和感が読み取れるからだ。
それは『季刊三千里』誌の創刊号から10号まで金時鐘は「猪飼野詩集」を発表しているが、1976年の6号に掲載されている詩片に、金日成への違和感が表象されている。

よもや 配ったばかりの朝鮮新報が
もちをくるんで出戻ってくるとは 心外ではないか!
それでつい
それも妻を見据えながら
いや俺自身の主体思想に向かって
どなったのだ!
失礼な!
偉大な首領様に失礼な!
これが 今朝の
騒ぎにまでなった顛末である。


この「もちをくるんで出戻ってくる」の詩片から、『朝鮮新報』紙に北労党の首領・金日成の言葉が猪飼野で浸透していない現状を知らせている。

金時鐘の内面の、俺は金日成の使徒ではない、という思いが「もちをくるんで出戻ってくる」に表象されている。それは平壌で印刷された『政治学校用参考資料』に4・3事件を、

 「〝金日成将軍万歳〟〝民主主義人民共和国独立万歳〟を叫んで火薬を抱いて警察署と選挙場を襲撃した」

と表現している箇所を、事実は違うと金時鐘に気付かせたからだ。
済州島では、金日成将軍万歳と叫んで警察署を襲撃した例はない。この平壌で発行された『政治学校用参考資料』の間違った表現が、金日成への違和感を金時鐘に抱かせる。
その違和感が、「猪飼野詩集」の表象に現れてくる。


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