ドラマと文学で探る韓国⑫ 既成概念との戦いは続く① 青嶋昌子

『恋人』×『何も言う必要がない』
日付: 2024年07月31日 06時25分

 コロナ下で始まったこの連載も丸3年が過ぎ、24作品・36回を数えるまでになった。世相を反映するようなドラマ、小説を選んできたつもりだが、読者の方々はどのように感じてくださっただろうか。ドラマから始まり、書籍にまで韓流の波が押し寄せた今、作品選びのハードルはいやが上にも高まっている。そのなかで今回、筆者が選んだのはドラマ『恋人~あの日聞いた花の咲く音~』と、ファン・ジョンウンの小説『何も言う必要がない』である。

最新ヒットドラマ、しかも時代劇を選んだのには、もちろん理由がある。この作品のテーマの一つといえる女性への視点だ。朝鮮王朝第16代王・仁祖の時代を舞台とするこのドラマを見ると、当時の朝鮮が儒教の影響をどれほど色濃く受けていたかがよくわかる。侵入した後金(後の清)の兵に顔を見られた、すれ違ったというだけで、女性は自害して当然なのだ。敵に追われて逃げ場を失った女性たちが、次々に崖から飛び降りるシーンがある。辱めを受けたら、どのみちもう生きてはいけないのだ。捕虜として連れ去られ、命からがら朝鮮に戻れても、貞節を失ったと後ろ指を指され、家族からも受け入れてもらえない。それが当時の朝鮮の女性たちだった。
ファン・ジョンウンの小説『何も言う必要がない』は連作小説『ディディの傘』に収録された作品だ。『ディディの傘』ではなくこちらを取り上げたのは本作の土台となっているのが1996年の「延世大学事件」だからだ。筆者はその翌年、97年からソウルで留学生活を送った。当初は延世大学からほど近い下宿に暮らし、校門の前を通ると検問中の警察官から身分証明書の提示を求められることもあったが、すでにデモを目撃することも、催涙弾の煙に巻き込まれることもなかった。学生運動も集会もすっかり影を潜め、多くの学生が気楽な大学生活を送っていた。そのわずか一年前に、ここまで徹底した弾圧があったとも知らずに。その「延世大学事件」とは、96年8月12日から20日までの9日間に延世大学で韓国大学総学生会連合(韓総連)の学生と警察隊の小競り合いが籠城へと発展した事件を指す。学生たちはキャンパスをぐるりと取り巻く警察隊に追われて立てこもらざるを得なくなる。真夏のソウルで彼らは兵糧攻めにあったのである。警察は〝食料も医薬品も女性用の衛生用品さえ搬入を認めなかった〟(本文注釈より)上に、9日間の後に彼らを連行するとき、女子学生たちを汽車ごっこのように前の人の腰をつかんで行進させ、卑猥な言葉を浴びせながら実際にセクハラ行為に及んだという。

このくだりを読んだとき、筆者は高麗時代に蒙古襲来によって蹂躙された対馬を思わずにはいられなかった。女性たちが腕に穴を穿たれ、数珠つなぎになって連行されて行ったというのは、帚木蓬生の小説『襲来』(講談社文庫)にも描かれ、読まれた方も多いだろう。ドラマ『恋人』でも女性たちは戦利品として連れ去られ、売られたり、辱められたりするのだ。そして、本人たちに非はないのに、蔑まれ行き場を失ってしまうのである。13世紀の蒙古襲来から17世紀の朝鮮まではいざ知らず、20世紀末のソウルですら、女性に対する既成概念は覆らない。
次回、堅牢な既成概念と戦う人々の姿をドラマと小説から読み解いていこうと思う。何も変わらないと絶望することもあるだろうが、世の中は一歩ずつ良い方向へ進んでいると信じるために。


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