ソウルを東京に擬える 第32回 そば・うどん・冷麺 吉村剛史(文・写真)

今夏こそ味わいたい伝統の麺料理
日付: 2024年07月31日 05時55分

 夏真っ盛りのこの時季は冷たい麺料理が美味しい季節だ。東京では夏になると街では「冷やし中華」と書かれたのぼりを見かけるが、ソウルでは新緑の季節、冷麺や豆乳麺(コングクス)の開始を知らせる韓食堂(ハンシクタン)の張り紙が、ひと足早く夏の訪れを感じさせる。
冷やした素麺も夏の妙味だ。素麺は七夕の供物で、江戸時代にはお盆の贈答品となり、今でも見られる。韓国の素麺であるククスは結婚式には欠かせない料理で、末永く続く縁と長寿を願う意味が込められている。
江戸中期以降は外食が盛んになり、蕎麦屋も人気だった。高級店も存在したが、庶民は寿司・天ぷらとともに蕎麦も街頭の屋台で食していたという。当時は更科・砂場・藪が江戸の三大蕎麦店とされたが、その系譜は現代にも受け継がれている。
蕎麦は、現代の韓国でも冷麺やマッククスのような麺料理に用いられる。〝メミルククス〟の名で〝ざる蕎麦〟や〝かけそば〟も見られるが、〝メミルソバ〟と呼ぶ人もいる。ソウルでは鍾路にある1954年創業の「美進(ミジン)」がその老舗だ。
韓国の蕎麦店の多くには花咲くそば畑の写真が飾られているが、李孝石(イ・ヒョソク)の短編小説『そばの花咲く頃』の美しい描写を連想させるためだろうか。

 武蔵野うどん

 「日式(イルシク)」と呼ぶ旧来の日本式のうどんは、韓国式うどんのカルグクスとともに韓国で定着している。ちなみに東京の多摩地域や埼玉西部では正月や結婚式などのハレの日にうどんを振る舞う風習があった。武蔵野台地は関東ローム層による土壌で、用水確保の事情も含めて稲作には不向きであり、小麦の育成のほうが適していたことも理由だ。今でも「武蔵野うどん」を掲げる店は数多く、昨今では人気が高いが、肉汁うどんとして豚肉入りのつけ汁とともにコシの強い麺が提供される。また、郊外のロードサイドに多数出店する埼玉・所沢発の「山田うどん」も小麦が穫れる地域性を反映したチェーン店だといえる。
朝鮮時代の漢城でも冷麺は食されていたらしい。冷麺は〝トゥル〟という押し出し式の機器を用いて製麺される。2018年に南北首脳会談が行われた際に平壌冷麺が注目されたが、冷麺は韓国北部を中心に盛んな料理だ。6・25戦争の避難民たちが集まった東大門付近には冷麺専門店が多く、冷麺通りが形成されている。
そば粉を主とした平壌冷麺と、サツマイモなど穀物のでんぷんを中心とした嚙み切れないほどの麺が特徴の咸興(ハムン)冷麺が、韓半島の二大冷麺といえよう。冷麺は古くは冬の料理だったが、現代では夏に冷麺店に行列ができている。

 平壌冷麺

 東京にも冷麺専門店があるが、そのひとつは蒲田にある「平壌冷麺・食道園」で、ジャガイモを用いた半透明の麺は、盛岡冷麺にそのルーツをたどる。新大久保では「板橋(パンギョ)冷麺」や「コサム冷麺専門店」が知られるが、赤坂では焼肉店「チョンギワ」の冷麺の評判が高い。昨今では脱北者が開いたという千葉・稲毛の平壌冷麺店「ソルヌン」もメディアで話題となった。今では家庭で茹でて調理するタイプの冷麺の種類が増え、今後は日本でも焼肉店の〆のメニューに留まらず、より広がっていくに違いない。
そのほかの冷麺としては、初夏に出始める大根の間引き菜を塩漬けして水キムチとし、その汁に麺を入れたヨルム冷麺は、爽やかな酸味が心地よい。その汁にご飯を浸し、軽くごま油を垂らして食べればキムチマリパプとなり、二度楽しめる。
そんな知恵を授けて下さったのは、先月13日にこの世を去った元韓国日報記者の佐野良一さんだ。韓国の新聞各社は〝韓流の伝道師〟とその功績を報じたが、宮中飲食をはじめ、韓国の食にも造詣が深かった。時には冷麺やうどんをご馳走になり、韓国の様々なお話を伺った。『統一日報』との出会いも佐野先生がきっかけだった。どうか安らかに眠られますように。

 

吉村剛史(よしむら・たけし)
ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、韓国100都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。23年より(一社)日本韓食振興協会会員。


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