新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第44回 伴野麓

日付: 2024年06月25日 12時40分

 『記・紀』を韓語で解釈する歴史研究家の畑井弘氏は「先学たちが心血を注いで構築してきた日本の古代史像に対して敬意を払わず、記・紀の所伝を気儘に解釈しようとした妄説にすぎないのではないか、というおそれは、今も私の心の中に、どっかと居坐りつづけている」と述べている。
目を見張るような新しい説を提言してやまない革新的な学者と思われる畑井氏でさえ、『記・紀』の呪縛から解き放たれるということに贖罪の気持ちを感じているようであり、日本の史学者の多くは、『記・紀』の呪縛から逃れられないでいるように見える。それが”韓隠し”を容認する、あるいは助長する土壌となり、日本の古代史を魑魅魍魎の世界に置いたままにしているとしか言いようがない。

 〔景行紀〕

景行はイリ王朝を簒奪したタラシ王朝


『日本書紀〈景行紀〉』を読んでいくと、景行が主人公なのか、ヤマトタケルが主人公なのか、わからなくなってくるのだが、景行王朝は、景行の和風諡号である大足彦忍代別という名称から、垂仁が活目入彦五十狭茅であるイリ王朝を簒奪したタラシ王朝であることを突き止め、それは武内宿禰一族と深く結びつく王朝であることを知った。物部氏や武内宿禰の葛城や紀伊勢力に擁立された景行は、内訌の末、丹波や若狭勢力を背景とする垂仁王朝にとって代わった簒奪王朝だったということだ。

〝韓隠し〟が魑魅魍魎の古代史を現出している

上垣外憲一著『倭人と韓人~記紀からよむ古代交流史』は、「日本の古代史を朝鮮半島との関係の中で考えなおそうとする試みである」とし、「朝鮮半島の古代史を知れば知るほど、日本の古代史に対する新しい視覚が大きくひらけてくるのである」「日本人という民族の形成の問題を考察するにあたって、どうしても欠くことのできない朝鮮半島からの人の渡来のありさまは、いまだに謎に満ちている」と言っている。
常々、日本の伝統的思考とも思われる”韓隠し”によって、魑魅魍魎の古代史を現出している現況を指摘しているように感じるが、日本の古代史を韓地との関係で再検討しようとの姿勢は、日本の古代史解明に一歩も二歩も近づくものと確信する。
日本史学界のマジョリティーは真実に目を背けて、どうして”韓隠し”するのかに関して、日本人は自らを天孫族の後裔と称し、その尊厳性を高めてきたのだが、胸を張って誇るべきはずの出自の地、すなわち百済や高句麗が、新羅に敗北し、負け犬の地となってしまったため、あこがれの地であり、出自の地でもある韓を、思いきって格下げし、天孫族の尊厳性を相対的に高める必要があったのだろうと指摘され、『記・紀』にあふれている”韓隠し”の記事は、一つ一つにそのような感情が深く秘められているというのだ。


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