朴正熙時代に養成された産業戦士(技能工)たちは、無から有を作り産業革命を可能にし、同時に、自らも無から有を創造し自力で成功した開拓者たちだった。
朴正熙を長期執権の独裁者と非難する人々は、彼が成し遂げた業績は、長期独裁をしたため当然、可能なものだったと言う。では、長期執権(終身執権)した独裁者たちは皆国家を発展させたのか。歴史を見れば、長期執権した独裁者たちが歴史に残る業績を築くことの方が例外的だ。
韓半島の北で、封建神政体制で絶対権力を行使した金日成(1946年から94年までの48年間)と、その後継者の金正日(後継者として父親と権力を共有した80年から2011年まで31年間)が、人民の食生活も解決できなかったことを見ても分かる。金日成王朝は北韓全土を兵営化し、軍需工場と首領を讃える偶像物を残した。一方、大韓民国は全土が朴正熙の近代化革命の博物館だ。
産業化革命は当然、技能工の大量量産システムなしでは不可能だったが、技能工だけでできるわけでもなかった。繰り返し言うが、共産全体主義のソ連が短期間で工業化を達成したように、維新体制のような独裁システムなしに韓国の重化学工業化は不可能だった。大韓民国の保護者を自任した米国が要求する、「民主的方式」で人権を尊重しながらの目標達成は不可能だった。軍隊式・兵営式で技能工たちを養成するしかなかった。朴正煕政権の維新体制が成功する上で、情熱的な企業人たち、有能な官僚集団、科学者たち、安全保障を担当する軍隊と情報機関などが維新体制を支えた。戦時状態の国家なので、軍隊と情報機関の役割が至大だったのは当然だ。
豪州国立大学のキム・ヒョンア教授は「朴正煕大統領は、韓国人たちが望むことが何かを、最も適切な時点で最も正確に把握し公論化した卓越した戦略家でありリーダーだった」、「韓国人たちのパイオニア精神、韓国人の野望に火をつけた」と評価した。
問題は、国家を経営し統治するエリートは技能工のように量産できるものでないということだ。維新体制が直面する政治的葛藤がまさにこの点だった。朴大統領は、近代化革命を阻害する政治勢力に耐えられなかった。そのため、封建的思考の政治家たちの旧態依然とした欲望と挑戦は無視し制圧した。朴大統領としては、国家を導けるビジョンのない者らと権力を共有できなかったのだ。近代化ビジョンを持たない政治家たちに権力を与えるわけにはいかなかった。
朴正煕大統領は国家を経営する経営者であり、国民の教師であり、同時に戦争を指導する最高司令官だった。冷戦の総力戦で彼は最高司令官だった。
韓国の自由民主体制は常時「非常体制」であるしかなかった。5・16革命後、朴正煕大統領は、国民に「働きながら戦い、戦いながら働く」覚悟を求めてきた。これは東西冷戦という人類史で初めて経験する理念・体制戦争において大韓民国の運命だった。
信賞必罰を信条としてきた朴正煕は公正だった。無能と無責任と放縦と混沌と堕落が、朴正煕が追求する、跳躍と前進のための「非常措置」を非難できるものか。
米国は、新生独立国、同盟国の大韓民国が置かれている環境・状況を理解しようとしなかった。米国は自国の利害と自国の立場、ワシントンの基準でこの新生国を引っ張って行こうとした。戦争中でも予定されていた選挙を実施、国民に選ばれた李承晩大統領をクーデターで転覆しようとした米国の行動を振り返って見ても分かる。
(つづく)