金永會の万葉集イヤギ 第16回

反転する歌 万葉集106番歌と163番歌
日付: 2024年06月25日 11時45分

 弟の死の翌月、皇女は飛鳥に戻るよう命ぜられた。14歳の若さで飛鳥を離れ、27歳の娘となって帰ってきた。彼女は飛鳥に戻ってから、事件の詳細を聞いたはずだ。飛鳥に戻ってから作ったいくつかの作品の中に、彼女が聞いた話が間接的に記されてある。万葉集163番歌もその一つだ。

神風 乃 伊 勢 能 國尓 母有 益乎奈
何 可来 計武
君 毛 不有尓

鬼神の風が吹く伊勢(=皇女)は、生きている母のように国の役に立つべきだったのに。
どうして君は来て(謀反を)企てたのか。
君がいないなんて。

これまでの解釈は次のとおりである。
神風の伊勢の国にもあらましを 何しか来けむ 君もあらなくに
(神風が吹く伊勢の国にいてもよかったものを、なぜ来てしまったのか、君もいないのに)

主要な句を解釈してみる。
神風 乃 伊 勢 能 國尓 母有 益乎奈
鬼神の風が吹く伊勢の私は、国に母が生きているように当然、役に立つべきだったわ。
表向きは、皇女が弟をよく後見して謀反を起こさないようにすべきだったという意味だ。しかし伊勢を固有名詞法で解くと、隠されていた意味が浮かび上がってくる。伊勢とは、君(伊)の軍勢(勢)だ。伊勢のどこかに、大津皇子が謀反の計画を実行に移すとき、皇子と行動を共にすることになっていた鬼のように恐ろしい兵士たちがいたのだ。その軍勢の実態は明らかにされていない。
鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ・後の持統天皇)が自分の息子である草壁皇子の将来の障壁になると憂慮して、大津皇子を早々に排除したと疑う人々もいる。ところが、飛鳥に戻るまでは嗚咽していた大来皇女が、その後に態度を変えた。163番歌には弟の謀反を認める雰囲気が漂う。
実際に軍勢を動かそうとした重大な事実を固有名詞に隠しているのだ。106番歌と163番歌の雰囲気の違いを注意深く比較してみてほしい。謀反事件が、最小限の実体があったように感じられる。
大来皇女は、世界の誰にも負けない古代最高の女流歌人である。皇女の作品は、数多の万葉集の歌の中で美しく輝いている。
次回もこの姉弟の話を続けよう。

 反転する歌 万葉集106番歌と163番歌
<了>


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