「5・18光州事態」に北側介入確認

金永三政権下の国家安全企画部
日付: 2024年06月25日 11時25分

 金泳三政権当時の国家安全企画部(現国家情報院)が北側の5・18光州事態介入を、秘密工作を通じ確認していた事実が分かった。スカイデイリーは20日、權寧海・元安企部部長が「情報機関長として在職中、北側の5・18介入を韓国当局が直接確認していた」と言ったと報じた。北の光州事態介入を前職情報機関長が確認したのは初めて。
權寧海元部長は、国防部長官を歴任した後、1994年12月から98年3月までの間、安企部部長を務めた。彼は今まで時代的状況などで光州事態に北側が介入したかどうかを公開的に言及しなかった。だが、安企部在職中、北側の光州事態介入を韓国側の要員たちが直接確認した事実を証言したのだ。
權元部長は17日、スカイデイリー記者の取材に「現職(安企部部長)のとき、北側の光州事態介入を、秘密工作を通じて直接確認した」と話した。工作方式と経緯については説明しなかったが、「北韓の清津にあった(南派)英雄たちの碑石は事実」と具体的に話した。また「(北側は清津碑石の存在が韓国側に知られるや)位置を変え第3の場所へ隠した」と言い、碑石と北側の光州介入の関連性について「事実であり、私が確認した」と付け加えた。
確認時点は「私が在職中」で、「北側の教科書に(碑石の存在が)出て清津にあることを知りわれわれが確認に出た」「だが、工作だったのでそれを(わが)機関が確認したと言えないため、脱北者たちが提供したものと処理された」と言った。当時、金泳三大統領に報告したかについては言及しなかった。
清津にあった人民軍英雄たちの烈士墓碑(写真)の裏には、534軍部隊所属で光州に送られた戦死者158人の名簿があった。スカイデイリーはこの確認工作過程で4人が犠牲になったと報道した。


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