新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第43回 伴野麓

日付: 2024年06月18日 12時41分

 神武東征譚は、沸流百済によるホアカリ=ニギハヤヒ王朝の簒奪譚であろうことを明らかにしたが、沸流百済が自らの存在を黒子にする手法でもあったことを指摘した。第2代綏靖以後、第9代開化朝までを欠史8代と見る史観もあり、存在しない王朝だと見られている。
そして崇神朝だが、崇神も神武と同様にハツクニシラスの大王と読まれ、日本列島の初めての大王とされている。建国王が2人いることを不思議ともされずに、”謎の4世紀”などと称して、あれこれ詭弁を弄して正当化しようとしている。それらの論述は、”幻の大和朝廷”に振り回された空理空論の拡大再生産というほかないと指摘した。
以降の『幻の大和朝廷』で、〈垂仁紀〉から〈継体紀〉までを論考する予定だが、”幻の大和朝廷”が、どのような形で隠されているのか、明らかにしていきたいと考えている。 

 〔垂仁紀〕

垂仁は丹波勢力を背景にしていた


『記・紀』の垂仁朝を詳細に検証していけば、ニギハヤヒ(饒速日)王朝とアマノヒボコ(天日槍)王朝の相克が読み取れる。ニギハヤヒは銅族、アマノヒボコは鉄族であることを考慮すれば、アマノヒボコ集団がニギハヤヒ集団を制圧して倭地の実権を掌握したと考えられる。
そのアマノヒボコ集団とニギハヤヒ集団の争闘を、婚姻説話や内訌説話などに託していりのが垂仁朝の実態だと感じられる。その垂仁という創作人物に、沸流百済の存在を分からないように埋め込んでいることから、垂仁という人物を複雑怪奇にしている。
垂仁は丹波(丹後)勢力を大きな頼みにしていたと思われるが、垂仁朝の時代と思われる西暦4~5世紀の記述は、百済の書物を基準にしてつくられ、年代や内容まで大きく変えられた可能性があると指摘されている。百済の書物の事績は、アトランダムに参考にされ、埋め込まれたと思われるから、『記・紀』の語句や事績から時代の真相を探そうとしても徒労に終わるだけだと思われる。

〝韓隠し〟を拡大再生産しブラックホール に落ち込んでいる

「無神経な史家は、『旧事本紀』を偽書視し、一顧だに与えないが、その『旧事本紀』は、いたるところで史実の片鱗を示し、真相の露頭を呈する。虚心担懐・公平に史書を取りあつかい、偽書視される超古文書からも珠玉を探りださねばならぬ、記・紀のごとき公認の古典書のなかにも、瓦礫・偽伝があるのだから」という碩学の士がいる。
拠るべき確かな文献史料がないという理由で、半ば伝説的な史伝の中に放置されたままになっている4世紀の日本古代史を考える場合、東アジア史の視座を確定し、東アジア史の一環として捉えていくのに必要な新しい方法論の開拓に取り組むことが、文献史学者にとっても大切な課題となってくると指摘され、日本の歴史を日本列島内に閉じこめてしまう鎖国的な研究ではなくて、世界史的視野の中で、少なくとも東アジア史の一環として捉えることが、今後いちだんと必要になってくるであろうという革新的な歴史家もいる。
換言すれば、本居宣長的な独りよがりの歴史ではなく、新井白石的な東洋史の中での日本史を考えよ、ということだろう。


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