金永會の万葉集イヤギ 第15回

反転する歌 万葉集106番歌と163番歌
日付: 2024年06月18日 12時17分

 万葉の夜空に永遠に輝き続ける星がある。大来皇女(大伯皇女・おおくのひめみこ)だ。西暦661年、韓半島の西海岸での白村江の戦いの2年前、斉明天皇は百済を救うため大阪(難波)を出発し軍勢を率いて福岡へと向かっていた。大来皇女は、天皇一行の船が現在の岡山県瀬戸内を通っているとき船で生まれた。平たんでない人生を予告しているかのようだ。

大来皇女は伊勢神宮の斎宮に選ばれた。14歳という幼い年齢で重大な任務を任されたのである。斎宮とは、天皇の名代として伊勢神宮に遣わされる皇族の女性である。彼女が伊勢に行っている間に、弟の大津皇子が謀反の疑いで処刑された。悲報を伝え聞いた彼女は、自分が弟と一緒に死ぬこともできず、生きていかなければならないという事実に絶望した。106番は嘆きの歌である。

二人行 杼
去 過 難寸 秋山 乎如
何 君 之 獨 越 武

二人が一緒に行くべきだったのに、君一人で早くも行ってしまったわ
(私にも)越えるのが難しくない秋の山を
どうして君は一人で越えて行ったの

この作品は今まで、次のように読まれてきた。
ふたり行けど行き過ぎかたき秋山を いかにか君がひとり越ゆらむ。

主要な句を解いてみよう。
 二人行 杼 二人が一緒に行くべきだったのに、君は一人で早くも行ってしまったわ。弟に、私を連れて一緒に行くべきだったのに、君一人で早く行ってしまえば、私はどうしようと怨じている。杼(ひ)は棚機(織機)の用具で、素早く往復しながら糸をほぐしてくれる(第11回参照)。弟が織機の杼のように早く逝ってしまったと嘆いている。
 去 過 難寸 秋山 乎如 (私も越えて)行くのに少しも苦労しない秋の山だわ。過は郷歌で「災い」のことだ。弟が謀反罪で処刑されたという「青天の霹靂のような災い」を表している。秋の山は落ち葉が散ったため、女性の皇女でもさほど苦労せずに超えられるのに、弟は姉が大変かと思い自分をこの世に残して逝ってしまったと嘆じている。
皇子が死んだのは10月3日、ときは秋だった。これまでの解釈だった「ふたりで行っても越え難い秋の山を、どうして君は一人で越えているのか」とは、まったく反対の内容になるのである。このように新しく解読して見たら、106番の歌は、一人残った皇女の涙を拭う落ち葉のハンカチのように思えて堪らない。
 何 君 之 獨 越 武 どうして君は一人で越えて行ったの。弟の死に胸を痛めている。君一人で行ってしまえば、私はどうしようと嘆いている。女性の深い嘆きが、格調高い隠喩法で詠まれている。106番歌は「隠喩の森」とも言うべき作品だ。織機の杼や落葉した秋の山はすべて隠喩だ。隠喩であるため、悲しみがより繊細に心に響く。

 反転する歌 万葉集106番歌と163番歌<続く>


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