李学永氏の「2つの顔」

強盗前科者と国会副議長
日付: 2024年06月18日 12時15分

 「『社会のドン』と評される首都圏4期議員」…?

 今月5日、第22代国会前期の国会副議長に選出された李学永・民主党議員(京畿・軍浦)を取り上げた際に韓国メディアがつけた記事のタイトルだ。
この日の投票の結果、李議員は出席188人中187票を獲得して副議長に選出された。
韓国立法府のトップである国会議長に次ぐ高い地位に就いた社会運動家だが、同氏の前科については一様に目をつぶり触れないでいる。「政界入り以降、社会的・経済的弱者の権利を守るべく奔走してきたと評価されている」(連合ニュース、5・16)と称賛されている李氏は1970年代、南民戦(南朝鮮民族解放戦線)という共産社会主義革命運動組織に属していた。
そんな同氏の名前が世に知られるようになったきっかけは、運動家としてではなく「強盗犯」としてだった。当時の事件はこうだ。
1979年4月、ソウル江南にある東亜建設の崔元碩会長宅に強盗が入った。警備員に見つかると、強盗犯は警備員を刃物で刺した。強盗グループのうち1人がその場で逮捕された。その人物こそが今回、国会副議長に選出された李学永氏だ。
当時の記録として、共犯者チャ・ソンファン氏の証言がインタビューの形で残っている。
「私と李学永が玄関のドアを開けて中に入ると、警備員に制止された。李学永が警備員ともみ合いになったため、私が刃物で警備員を刺した」。
その後45年間、左派陣営はこの事件を「正義の行動」という表現で一貫してきた。財閥の横暴に警鐘を鳴らし、「民主化運動の資金」を用意するためだった、との主張だ。
元法相の曺国議員は2012年、大学教授を務めていた当時「李学永は独裁権力に対抗し民主主義を取り戻そうとした。血に染まった彼の民主化闘争に対し、韓国は民主化有功者資格を授与した」と美化していた。
犯行当時、家主の崔元碩・東亜建設会長は不在だった。サウジアラビアの通信工事プロジェクトのため海外出張中だったからだ。韓国の総輸出額が150億ドルだったその年、東亜建設の輸出受注額は20億ドルを占めた。
本当の意味で韓国を救ったのは東亜建設なのか、それとも南民戦なのか。今回、韓国の国会副議長に就任した強盗の前科者なのか。この事実に沈黙するということは、政界とメディアの怠慢と馴れ合いに他ならないだろう。
(ソウル=李民晧)

与党・国民の力不在のまま開会した第22代国会。国会本会議に出席する民主党議員ら


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