金永會の万葉集イヤギ 第14回

哀痛の歌を生んだ悲劇416番歌
日付: 2024年06月11日 11時09分

 この呪いの通り、天武天皇の息子である草壁皇太子は2年半後に突然夭折する。後に持統天皇となった鸕野讚良皇后は、息子が早世した飛鳥を不吉とし、新たに藤原京を作り移った。416番歌の呪いで草壁が亡くなり、それによって飛鳥時代が終わり、奈良時代が開かれる。
これが郷歌解読法で捉えた藤原京への遷都の経緯である。

大津皇子には大来皇女(おおくのひめみこ・大伯皇女とも)という姉がいた。姉弟は母親が早くに亡くなったあと、互いを頼りにしてきた。悲劇の日、大来皇女は伊勢神宮の斎宮として伊勢にいた。後から、ことの顛末を聞いた皇女が悲嘆の歌を作った。
大来皇女はこれらの歌で歴史に不滅の名を遺す。 万葉の岩壁に刻まれた105番歌を紹介する。

吾 勢 祜  乎 倭 邊 遣 登佐
夜 深 而 鷄鳴
露尓 吾 立所 霑之
私の権勢と福禄の源よ。倭国の辺境に送られたな。彼らが君を山(埋葬地)に送ったんだな。夜更けに鶏が鳴いているけど。露に私は立ち濡れている。

105番歌に対するこれまでの解釈は次のとおりである。
我が背子を大和へ遣るとさ夜更けて暁露に我れ立ち濡れし
私の弟を大和へ見送るとき、夜が更けて明け方になるまで立ち尽くし、露に濡れてしまいました。

主要な句を解読しよう。
倭邊遣 登佐 「倭国の辺境に送られたな。彼らが山の上(埋葬地)へ君を送ったんだな」
この歌の「題詞」には、大津皇子が謀反事件の前に伊勢神宮にひそかにやってきて帰るときに大来皇女が詠んだ歌と記されているが、そうではなかった。事件ののち、皇女が作った涙の歌なのである。「倭邊遣」は「死んだ」という意味だ。つまり皇女は弟が処刑されたことをすでに知っていた。したがって題詞が間違っている。

夜深 而 鷄鳴 「夜更けに鶏が鳴いているけど」
むごい一節だ。「鶏のように首を絞められて死んだそうだ」の意である。ためらった末に、皇子は首を絞められて死んだのだ。「露」は、皇子の短い生の比喩であると同時に皇女の涙をも物語っている。弟を殺された悲しみが過不足なく表現されている。
大来皇女は弟の死を哀痛するこの歌で、額田王とともに万葉集における最高の歌人となった。万葉集は「涙の書」でもあったのだ。大来皇女の歌があるため、シェイクスピアにも勝る人類最高の悲歌集となった。

持統天皇が由緒のある飛鳥を捨て藤原京に移った内密な理由が万葉集の解読によって明らかになった。息子の草壁の夭折のためだったのである。

日本一の悲しい歌を統一日報に掲載できることを嬉しく思う。次の話も大来皇女の歌を紹介する。

 哀痛の歌を生んだ悲劇416番歌<了>


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