韓国教育財団・碧夆奨学基金と私 第3回 金武偉さん(ボストン大学ロースクール)

「世界に羽ばたく人材に」 弁護士や証券・投資会社を経て独立
日付: 2024年06月11日 10時37分

 韓国教育財団碧夆奨学生としてボストン大学ロースクールを修了し、ニューヨーク州弁護士となった。M&A(企業の合併・買収)と米国証券法を専門とし、現在は投資会社を運営している。
投資先企業に経営改善の提言をするアクティビスト(物言う株主)としても活動している。ライブドア騒動で一躍名をはせた村上世彰氏の影響もあり、日本ではネガティブな印象を持たれがちだが、「投資先企業のため、いかに質の良い提案をするかが重要だ」と持論を展開する。
その姿勢が具体的な形になったのが、東証スタンダード市場上場のフューチャーベンチャーキャピタル(FVC)の2022年株主総会での取締役全員交代劇だった。
会社の成長戦略と開示姿勢が不十分と感じられたため、個人株主として全国各地の株主と会い、自身の提案への支持を訴える。のちに可決され、自ら社長に就任した。上場企業で株主提案の可決により、経営陣が交代することは異例であり大きな話題となった。
幼いころから「世界に羽ばたく人になれ」と父親に言われていたため、外交官になりたいと考えるようになった。英語の習得に取り組み、高校を1年で中退して米国に留学。のちにカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)に入学する。
大学時代は韓国人留学生と交流を持ち、韓国語が上達するとともに、韓国人としてのアイデンティティーが強化された。
大学卒業後はロースクールに合格するが、生活費も含めると約3000万円が必要だった。資金が足りず入学を断念して日本に戻り、再度チャレンジするためゴールドマン・サックス証券、JPモルガンで4年間働いて学資を稼いだ。それでもまだ足りない。
そんなとき2歳上の兄から韓国教育財団碧〓奨学基金のことを聞かされる。MBAという条件には当てはまっていないが、入学するロースクールが全米上位20位圏内という条件を満たしていたので応募したところ、支給が決まった。
ようやく長年の思いが叶ったことで「受給式では自然と涙があふれ出た」と感激を語る。
28歳でボストン大学ロースクールに入学。会社法のほか、国際法などを専攻。判例を毎日500ページ読んだ。膨大な英語の法律文書を読むことで、「文書を解析するスピードが上がり、論理的思考を鍛えることができた」と振り返る。
ニューヨーク州弁護士となり、卒業後は米国の法律事務所で5年間、M&Aや米国証券法などの業務に携わる。その間も「いつかは外交官に」との志を胸に秘めていたが、やがて弁護士として法律相談や書類を作成するより、自ら会社の経営に携わりたいという思いを抱くようになる。
12年に日本に戻ってからは、投資会社のユニゾン・キャピタルに入社し、投資業務に従事。その後独立し、18年にミッション・キャピタルを立ち上げる。
碧夆奨学基金に対しては「基金のおかげで今がある」と感謝を口にする。それとともに、「若き同胞の将来を金銭的事情で閉ざしてはならない、という先人の崇高な志が同基金設立には込められていると思う。同基金で学んでいる人には、韓半島縁の出自を大切にしつつ、グローバルに羽ばたいてもらいたい」とエールを送る。
世界は現在、ウクライナ戦争やパレスチナ問題などが深刻化し、日本を含む北東アジアでは北韓のミサイル発射実験が相次ぎ、先行きが不透明になっている。
今後、日本の経済状況はどうなるのか。「日本の資本市場は過渡期にある」と言い、「原材料高によるインフレと人口減少の進行などにより、企業は事業戦略の見直しを迫られている。経営体質強化のためのM&Aが盛んになっていくのではないか」と大きな企業再編を予測している。

 

 金武偉(キム・ムイ) 1979年生まれ。京都市出身。在日韓国人3世。米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)卒。ゴールドマン・サックス証券、JPモルガン勤務ののち、韓国教育財団碧夆奨学生としてボストン大学ロースクール修了。ニューヨーク州弁護士として、米法律事務所勤務。帰国後、ユニゾン・キャピタルで投資業務に携わる。2018年ミッション・キャピタルを創業し、社長に就任。

 


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