東アジア文字考~漢字を巡る遥かなる旅 第14回 水間一太朗

文字から考える幸福③
日付: 2024年05月21日 12時31分


中国人の一番好きな『福』『倒福』

二〇二一年三月八日付の奔流新聞(一帯一路を伝える総合メディア)に、「中国人が最も愛する文字は『福』である」という記事が掲載された。その冒頭の一節の前後を日本語で要約すると、「中国人が一番好きな言葉は何かというと、それは当然『福』という言葉です。〈中略〉『福』、なんて良い願いが詰まった縁起の良い言葉なのでしょう!」となる。それほど中国人は『福』が大好きだ。


奔流新聞2021年3月8日号から

 

ところがその中国には不思議な慣習があるのをご存知だろうか。記事中(画像参照)にある「福到」とは「福が来る」という意味だが、春節の中国では「倒福(逆さ福)」といって福の字が逆さになった飾りを一斉に掲げる。日本でも中華街などで良く見かけるのでご存知の方も多いだろう。これは、中国語で「福が逆さまになる」という「福倒了(フーダオラ)」の発音が、「福が来る」という「福到了(フーダオラ)」と同じだったために慣習化したものだ。
この『福』を逆さまにしたエピソードのいわれは諸説あるが、代表的なものは次の三つである。
第一のエピソードは、愛新覚羅奕訴の夫人の話だ。春節の前日、『福』の字を書いた紙を門に貼るように使用人に指示した。しかし、この使用人が無学であったため逆さに貼ってしまった。怒った夫人は罰を与えようとしたが、使用人はとっさに、「福が来るようにフーダオラと逆さに貼ったのです」と言い訳をした。これにより夫人のご機嫌が直り、さらに褒美までもらえた。
第二のエピソードは、『福』の字を貼らせた人物が西太后に変わり、逆さに貼った人物が宦官へと変化する。逆さに貼った言い訳は同じである。
第三のエピソードは、明を建てた朱元璋の話である。南京攻略の際に、町の人々に味方になるなら『福』の字を書いた紙を表に貼り出すようにと通告した。朱元璋は、この貼り紙がない家を皆殺しにしようとした。ところが一軒だけが逆さまに貼ってしまった。朱元璋はこの家の者を皆殺しにするように命じたが、これを耳にした朱元璋夫人が、先述と同じ言い訳をしてこの一家は命拾いをした。
この三つのエピソードに共通するのは、絶対強者と弱者との関係であり、前々回で話題にした『幸』の字が手枷からの解放と捉えられてきたことと変わることがない。「倒福(逆さ福)」とは絶対強者という人災から逃れる庶民の知恵だったのである。

『福』の本来の意味と『ひもろぎ』

さて、『福』本来の意味を漢字の成り立ちから考えてみよう。奔流新聞の挿入図にあるように、『福』は、『示』と『畐』から成り立つ。『示』は神を祀る祭壇を意味し『畐』は酒甕を意味する。即ち、『福』の古代の原意は「神への捧げ物」や「神からの祝福」を表していた。酒甕を表す『畐』はその後『富』と変化して甕に溜め込むことが『富』となった。
ところが日本では万物を溜め込むことが『福』とはならなかった。『しあわせ』が『為合わせ』であり、『さいわい』が『咲き賑わい』であるように、他人と比較することは幸福とはならなかった。そのため『福』は外来語としての音読み『フク』がそのまま日本語化していった。訓読みとして現在まで残っているのは『ひもろぎ』のみである。『ひもろぎ』とは、『ひ(霊)』が『あもる(天下る)』ことを意味し、漢字の原意そのままの意味となる。神道でよく使用する言葉だが「神の依代」を表し、『神籬』とも表記する。
さまざまな『もの』が溢れかえっている現代。『もの』を溜め込むことが果たして幸福なのかどうか。漢字の原意を噛み締め、真の『幸福』について見つめ直してみるのも一考だろう。(つづく)

水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。

 


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