新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第40回 伴野麓

日付: 2024年05月21日 12時29分

 日本の歴史学は、騎馬民族征服王朝説が定説とならないかぎり、正常な軌道を走らないと断言できる。”韓隠し”の歴史学が払拭されて、真実のみを追求する歴史学にならない限り、魑魅魍魎の古代史とは決別できないといえる。
それにもう一つ、京都は丹後の勢力、つまりホアカリを始祖とする海部氏族が非常に重要な働きをしているにも関わらず、その丹後勢力が歴史の埒外に置かれていることだ。若狭・丹後の勢力が大和に進出し崇神以前の勢力を構築した可能性が非常に高いと見られる。

京都は丹後勢力が初期の大和王朝 の主人公


倭地の実権を掌握した百済系大和王朝は、それ以前に存在した新羅(伽耶)系山陰王朝を”幻の大和朝廷”にデッチ上げて、歴史を偽造したことを本連載のテーマにしてきた。百済系大和王朝や新羅(伽耶)系山陰王朝のことは、本連載を通読すれば、それなりのイメージを抱いてくれるものと思う。
新羅(伽耶)系山陰王朝のことだが、当初は出雲国を宗主国にしていたであろうことに言及した。『但馬故事記』の事績だが、鳴尾魔志牢の騒擾を、大和ではなく出雲に奏上していることがそれを傍証する。
そして出雲の国譲りが行われるのだが、天孫降臨は平定した出雲ではなく、筑紫で行われる。不思議な現象というほかない。出雲が上古において強大な王国であったことは、巨大な建造物の遺構があったことから偲ばれる。
荒蕪の地であった倭地に最初に入植したのは伽耶人と思われるが、日本最初の神が葦の精霊で、『日本書紀』ではクニトコタチ(国常立)、『古事記』ではアマノミナカヌシ(天御中主)であることに言及したが、そのアマノミナカヌシはトヨウケ(豊受大神)であり、京都は丹後の地主神であることを明らかにした。
イザナギ(伊奘諾)・イザナミ(伊弉冉)が、韓地慶尚北道の伊西国から京都は丹後に降臨していることは、日本の始まりが丹後にあることを暗喩するものだが、それは出雲を無視、あるいは軽視する策謀とも感じられないことはない。いずれにしても、新羅系山陰王朝の主導権は出雲から丹後に移ったのではないかとも考えられる。
イザナミは烏丸系朴赫居世(新羅始祖)の一族ではないかと推量したが、夫であるイザナギは、最後に別離の終焉を迎える。その夫婦の故事は、『三国遺事』に記す延烏郎・細烏女の説話を参考にして創作されたのではないかとも考えられる。


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