金永會の万葉集イヤギ 第12回

額田王、私には愛しかないわ 16番歌
日付: 2024年05月21日 11時39分

 山 乎 茂 入 而 毛 不取/草 深 執 手 毛 不見
(春の)山には(木の葉が)生い茂っているため、中に入っても皇子に会えず、皇子を捕まえたくても茂みのためまったく見えないわ。*額田王は恋人の大海人を見ることさえできなかった。

秋山乃 木葉乎 見而者/黄葉 乎 婆 取而曾 思努布/青 乎者 置而曾

秋の山で木々の葉が(落ちるのが)見えて(私は)黄色い葉を(手で)拾ったわ。大いに悲しんであげたわ。青葉は泣きながら胸にしまったわ。※黄葉は661年に亡くなった皇太子の母、斉明天皇と解く。青葉は、先日亡くなった中大兄皇子の妹の間人皇女(はしひとのひめみこ)と中大兄の娘の大田皇女(おおたのひめみこ)のことである。二人の皇女は667年2月、斉明天皇のもとに葬った(日本書紀・天智天皇の条)。者は中大兄、置とは(懐へ)おくこと。

歎 久 曾/許之/ 恨 之/秋山 吾者

嘆きながら長く涙を流したわ。ボロボロ泣いたわ。嘆じたわ。秋の山の方が好きだわ、私は。※額田王は亡き斉明天皇と亡き皇女たちを思い、悲しんでいた。花が咲いた春の山より落葉する秋の山が好きだという表現は、中大兄に対する重義的表現だ。曾は郷歌で「甑(こしき=蒸し器)」と解く。甑で餅を蒸すとき、蓋から水がぽたぽたと落ちるように涙が流れるという意味だ。韓国語の「蒸す」の意味であるチダの「チ」と発音される。許はヨンチャ(大勢の人が労働するときのほうほうという掛け声)である。

額田王は戦争のとき、筑紫まで行って苦労をしたが、恋人の大海人が自分のそばにいて慈しんでくれた。そんな彼が、敗退して倭国に戻ってきてから女人たちに囲まれ、自分を遠ざけた。裏切られたと思った額田王は、中大兄の恋人になることにした。
中大兄が大海人から額田王を奪ったという説がある。だが、万葉集を見ると、額田王は愛において主体的だった。自ら大海人のもとを去ったのだ。彼女は完全な愛を望んでいた女人だった。
万葉の神は時々思いがけない間違いを犯す。16番歌は裏切られた女の複雑な心理を歌ったものだが、神様が誤解してしまった。そして奇異な力で、秋の木が落葉するように中大兄から民心が離れるようにした。万葉の神は歌を誤解し、現実としてしまったのだ。

 秋山 吾者
 秋の山の方が好きだわ(額田王の製作意図)。
秋の山のように葉が落ちることを祈るわ、私は(万葉の神の誤解)。

万葉の力が中大兄皇子から民心を離した。その頃中大兄は飛鳥から近江への遷都を推進していたが、不満を持った人々によってあちこちに火を放った(日本書紀・天智天皇条)。離れた民心が、秋の落ち葉のように飛鳥の街を転がっていた。人々の目の色が変わっていく。誰かがひそかに道端の落ち葉を拾って回った。

額田王、私には愛しかないわ 16番歌<了>


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