韓国教育財団碧夆奨学生としてペンシルベニア大学ウォートン校MBA(経営学修士)を取得。外資系金融機関での勤務を経て帰国後、中小零細企業コンサルタントとして独立した。
米連邦準備制度理事会(FRB)の利上げに端を発した米ドル高・米株高による好況が日本にも波及し、日経平均もバブル期最高値を更新した。一見、好景気到来のように見えるが、「中小零細企業にとっては、原材料高とインフレによる賃上げ圧力によるコスト高で、企業体力が追い付かない」と先行きを不安視している。
「コストカットの方法や、国・自治体の助成金申請などの手伝いをしている」と中小零細企業向けコンサルタント業務に邁進している。
在日韓国人3世として生まれ、喫茶店などの自営業を営む両親が苦労している姿を幼いころから目にしてきた。
中学生のころには、公認会計士を目指すようになり、大学入学後は資格専門学校とのダブルスクールで試験勉強にいそしんだ。大学の講義に思うように出席できないこともあったが、周囲の助けもあり単位を取得し、公認会計士試験にも在学中に合格した。
卒業後は4大監査法人の一角を占めるあずさ監査法人に勤務する。しかし違和感ばかりが大きくなった。
「公認会計士の業務は企業の決算書類作成であり、それ以上の付加価値を見出せないことに疑問を感じた。MBAで新たな知識を身に付けたいと思った」と振り返る。
米国でMBA取得を志したもう一つの理由は「実は幼いころから海外で学びたいという願いもあった。日本での学生時代はダブルスクールで遊ぶ暇もなかったので、キラキラしたキャンパスライフを送れず、憧れもあった」
米国留学には2000万円は必要だった。奨学金を得ようと思うが、日本国籍を条件とするなど、応募できるものが見つからない。両親に借りようと考えていたとき、民団新聞で韓国教育財団の碧夆奨学金のことを知り応募。支給が決まった。
「藁をもつかむ思いで応募した。決まったときは、これで学費の心配をしないですむという安心感とうれしさと感謝の気持ちでいっぱいになった」
大学では金融、企業評価、M&A(企業の合併・買収)などのほか、独自の専門分野として、スモールビジネスやファミリービジネスについて研究した。
「在日韓国人は自営業が多い。両親が事業について相談する人もなく苦労する姿を見てきたので、中小零細企業の役に立ちたかった」
だが、念願の米国留学はキラキラしたキャンパスライフとは無縁だった。
「英語には自信があったが、講義は半分も理解できなかった。学生も世界中から優秀な人材が集まり、自分は小さな世界で生きていたと思い知らされた」と衝撃を受ける。
それでも奨学生に選ばれた責任感から来る強い意志と、同級生のサポートを得ることでMBAを取得した。
碧夆奨学基金について「MBAを取得した在日韓国人が活躍することで、日本での地位向上につながっている。今後も長く続けてほしい」とエールを送る。そのうえで、「監査法人勤務時は悶々としていたが、奨学生に選ばれたことで高いスキルを身に付け、広い世界を知ることができた。今後は次世代のために何らかの形で貢献したい」と述べている。
最近は両親の介護を通じて、介護業界への関心を高めている。
「介護士は低待遇のため慢性的な人手不足になっている。業界の地位を高めて、多くの人が安心して老後を過ごせる世の中にしたい。私たちの将来に直結する重要な課題だと思う」。
これからも留学を通じて身に付けたスキルを、社会課題解決のために役立てていきたいとしている。
張裕英(チャン・ユヨン) 1977年生まれ。横浜市出身。在日韓国人3世。慶應義塾大学商学部卒。在学中に公認会計士試験に合格。あずさ監査法人に勤務ののち、韓国教育財団碧夆奨学生としてペンシルベニア大学ウォートン校MBA取得。ゴールドマン・サックス、中国系金融機関を経て、帰国後に中小零細企業コンサルタントとして独立。
韓国教育財団・碧夆奨学基金(海外留学助成制度)
全米上位20位圏内のMBA課程に合格もしくは在学、日本の永住権を持つ韓国籍などの応募資格を設定。採用者には年間最大1200万円を給付する。
※「碧夆」は寄付者である徐東湖理事長の号