北韓で最も重要な記念日とされる4月15日の故金日成主席の生誕を祝う記念日に異変が生じている。同主席の神格化を意味する「太陽節」と称していた名称が使われず、「4・15」や「4月の名節」と言い換えて朝鮮中央通信などが報じた。北韓当局は昨年末から韓国との関係を、交戦国として敵対視していることもあり、先々代から続く統一の遺志の放棄とともに、金正恩総書記自身の権威付け強化の意志が伺われる。
統一放棄で韓国を「敵対国家」
北韓の朝鮮労働党機関紙の労働新聞は15日発行の紙面で、題字下の「慶祝」の枠に例年の太陽節に代えて、「4・15」と記した。同日付の紙面で「太陽節」と表記した記事は、平壌万寿台丘の金日成・金正日銅像に労働党幹部が花籠を捧げたという1本だけで、翌16日付紙面では皆無となった。
韓国統一部では「名称を変更したと暫定的に判断している」と表明している。
物議を醸す写真
日本国内のメディアでは、朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」12日発行の1面トップ記事の写真が、北韓ウオッチャーの間で物議を醸している。「地方が発展する新時代 金日成主席生誕112年にあたって」という見出しで、若き日の金日成氏がのどかな地方の屋外で、現地の人とにこやかに談笑する写真が掲載されている。写真説明には「金日成主席が地方経済を発展させるという意志を示した」とある。
この写真について、在日韓国人2世の北韓ウオッチャーは「なぜこんな写真を掲載したのか」と驚きの声を上げる。「若いころの一兵卒のような姿を機関紙でさらすことは、金日成氏の権威を貶める意図があるのではないか」と訝しがる。一方で別の新規定住者(ニューカマー)の北韓ウオッチャーは「若き日の祖父の写真を掲載することで、金正恩氏が自らを重ね合わせて権威付けに利用しているのではないか」と評価は真っ二つに割れている。いずれにしても、判断が分かれる写真が掲載されること自体異例だ。
北韓で建国の父とされる金日成氏は1994年に死去。97年に北韓の主要5機関の共同決定書を採択し、金日成氏が生まれた12年を主体年号に指定。誕生日である4月15日を太陽節として制定し、毎年盛大な祝典を催してきた。
父祖の業績否定
大きく潮目が変わったとみられるのは昨年末。北韓が韓国を「敵対国家」と規定。金日成、金正日の2代にわたって統一を目指してきたが、その国是ともいえる方針を放棄した。
具体的な行動にも出ている。1月には統一遺訓と南北対話を象徴する平壌の祖国統一3大憲章記念塔を撤去。同記念塔近くの金日成の祖国統一命題碑も同時に廃棄されたと推定されている。今年の金日成生誕日には、先々代と先代の遺体が安置されている平壌の錦繍山太陽宮殿への、金正恩氏と党幹部全員の訪問も伝えられていない。統一に関して、父祖の業績を含めて消し去ろうという強い意志が感じられる。
北韓内報道に変化
それとともに金正恩総書記の権威強化の動きがみられる。北韓内の報道では「主体朝鮮の太陽 金正恩将軍」という表現を目にするようになった。労働新聞は「敬愛する金正恩同志の革命思想は偉大な首領(金日成)様と偉大な将軍(金正日)様の革命思想の全面的継承によって新たに高い段階へと深化発展」としながら、金正恩総書記の革命思想が先代を超えたと強調している。
根強い反体制運動
元産経新聞政治部編集委員でジャーナリストの佐伯浩明氏はこれらの動きを「金正恩氏が自らの地位を高めるための一連の行動だろう」とみている。一方で「今回も金日成生誕式典をしっかり執り行ったので、まだ祖父の権威を尊重する気持ちはあるのだろう。内心は揺れ動いているのではないか」と心中を察する。朝鮮総連にも動揺が広がっているようで、「許宗萬議長が本国に対して、金日成に対する取り扱いを再考するよう促したと伝わっている。北は盤石のようにみえるが反体制運動は根強く、ビラが撒かれたり、横断幕が張られたりしているとされる」と、北韓内部は不安定化している。
今後、さらに金正恩氏の権威付け強化が進むのか、父祖再評価への揺り戻しがあるのか、北韓情勢から目が離せない。
4月12日発行の朝鮮新報1面トップ。若き日の金日成氏の写真が北韓ウオッチャーの間で議論を呼んでいる