新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第36回 伴野麓

日付: 2024年04月16日 13時15分

 くどいということを承知で、百済系大和王朝は400年前後に突如樹立された王朝で、『日本書紀』では応神朝から始まる王朝を意味していることを強調しておきたい。
その王朝は、396年に高句麗広開土王によって撃破された沸流百済が倭地に避難し、大和に侵寇して樹立した王朝のことで、その当時の大和には、ニギハヤヒ(饒速日)王朝が存在していて、沸流百済軍と闘ったのだが敗北し、沸流百済に服属を余儀なくされたと思われる。その様子は〈神武紀〉に詳述されている。
すなわち、沸流百済は自らの存在を黒子にして、神武に仮託し、大和の地に存在していたニギハヤヒ王朝(長髄彦)を打倒した。そのニギハヤヒ王朝は京都は丹後、当時は丹波と称された但馬、若狭を含む広域地域であったのだが、その丹後に存在していたホアカリ王朝でもあった。
そのホアカリ=ニギハヤヒ王朝は、出雲国を宗主国とする新羅系山陰王朝の構成員であり、沸流百済が突如樹立した百済系大和王朝の前に存在していた王朝だ。それゆえ、沸流百済は自らの存在を黒子にして、ニギハヤヒ=ホアカリ王朝より以前に大和の地に存在していたかのように見せる必要があった。でなければ、全国に展開されていた先住勢力、つまり新羅系山陰王朝の諸勢力を納得させることができなかったからだ。
そこで沸流百済は、ホアカリ=ニギハヤヒ王朝の事績を簒奪し、自らの事績であるかのように偽装した。それを神武に仮託して、〈神武紀〉に述べている。ホアカリ=ニギハヤヒ王朝はその後、アマノヒボコ(天日槍)の侵寇を受けたことから、ホアカリ=ニギハヤヒ王朝とアマノヒボコ王朝が併存する形が現出したと考えられるのだ。
その傍証は、神武から始まる欠史9代の王朝の中に、〝孝〟を含む4代の王朝が存在することで、その〝孝〟王朝がアマノヒボコ王朝を暗喩すると思われるのだ。そして、その”孝”王朝は開化朝に収斂されていく。
再言すれば、倭地(日本列島)は韓地(伽耶)からの渡来人集団である新羅系山陰王朝が出雲を宗主国として日本海沿岸の各地に展開され、その中の丹後に展開された海部氏一族が大和に進出してニギハヤヒ王朝を設置した。その中心人物がホアカリ6世孫の建田背だと考えられる。
そこへ突如、沸流百済が瀬戸内海経由で大和に侵寇し、ニギハヤヒ王朝を打倒、簒奪して、主人公に収まってしまう。自らの存在を黒子にしての王朝であったから、沸流百済の存在はまったく見えないということになってしまった。
日本史学界は、その沸流百済の存在を認めようとせず、”幻の大和朝廷”に振り回されて空理空論を展開し、”韓隠し”を拡散していることは遺憾というほかない。

〔崇神紀〕

崇神は百済系に色付けされた傀儡王朝


崇神こと御間城入彦五十瓊殖は、その和風諡号から任那から渡来した大王(天皇)というのが定説になっているようだが、九州から東遷、あるいは東征したという説も伝統的に根強くあるようだ。また崇神朝を邪馬台国王朝と同一視する説も多々あるように思える。


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