「虎瞳会」は高麗大学に学んだ50年の歴史を有する在日韓国人母国留学生の会。このほど50周年記念誌発刊を祝賀する式典が開かれ卒業生らが集った。現在の留学生会などが、来日した本国学生に向けた交流の支援を主な取り組みとしているのに比べると、本国で展開された虎瞳会の活動は画期的だった。
式典参加者が旧交を温める
13日、都内で「高麗大学校虎瞳会創立50周年記念誌」の出版記念式典が開催、関係者35人が列席した。
虎瞳会は1972年春、韓国ソウルの高麗大学に創立された「在日韓国人母国留学生の会」を指す。一昨年には創立50周年を祝う式典が大阪や東京で開催されたが、昨春から記念誌の製作が本格化。今回、満を持しての記念誌のお披露目となった。
■当時の空気感で式典盛況
参加した虎瞳会OB・OGはネームプレートに高麗大学留学時代の学番(入学年次)と学科を記し、親睦を深めた。参加者の多くから「十数年ぶりに再会できた」と歓喜する声が聞かれ、会場はさながら往年の高麗大学の空気感に包まれた。
式典の総合司会を申鐘洙・虎瞳会50周年誌編集委員が務め、開会辞を述べた。はじめに高麗大学の校歌斉唱・黙とうを行い、関係者あいさつが続いた。
(写真左)崔相英・高麗大学校日本校友会会長は先月22日、高麗大学から名誉博士学位を授与された。会場から祝福の声が上がった
崔相英・高麗大学日本校友会会長は、虎瞳会の初代会長を務め、また先月22日に高麗大学から名誉経営学博士号を授与されている。あいさつの中で、約50年前の留学時に発生したスパイ事件のいきさつについて話した。当時、在日同胞学生が多くの嫌疑をかけられ、本国の学生とも交流が容易ではなかった状況の中でも、韓国が自由民主主義国として成長していくと信じ、学業に邁進してこられたと回顧した。
続いて孫晋鎬・虎瞳会50周年誌編集委員会会長が、今回の記念誌の体裁について説明。当初の発案で何人かの留学の思い出や体験記ですませる予定だったのが、多くの協賛者が集まったことにより”50年の記録”として完成度の高い成果にまとめることができたと参加者に感謝の意を表した。また、高麗大学からの崔相英会長への名誉博士学位授与を虎瞳会全体の栄誉として祝賀すべきとした。
孫晋鎬会長も、当時の在日同胞学生たちが困難な国際情勢の中で体験した本国への留学の意義について、政治的な背景を交えながら丁寧に話した。とくに当時の環境下で、虎瞳会は在日同胞たちが自身の進路や母国の未来について語らい合える憩いの場であったことや、民団が本国への留学を後押ししてくれたため自分たちが留学を経験できたことの2点について強調した。
金利中・民団中央本部団長と、小林一則・早稲田大学校友会大阪府支部長がそれぞれ民団や大阪との関係から高麗大学・在日社会との深い縁について語った。
■記念誌の編集と普及意図
記念誌製作に編集の面で最も尽力した姜永根・虎瞳会50周年誌編集委員長が出版に至る経緯を説明した。10日に行われた韓国の第22代国会議員総選挙で、在外国民による投票権利があたりまえのように認められるようになった背景にも、虎瞳会の第2代会長を務めた故李健雨校友による貢献があったほか、先輩たちの努力の賜物で実現を果たしてきている取り組みの一つ一つについて、本国への期待も交えて記している点を本誌の特徴としている。また、編集に際して(1)虎瞳会の校友22人による在学時の「思い出記」を執筆したこと(2)座談会を2回行い、大学時代の体験とその時の思いを心ゆくまで語ってもらったこと(3)本国や日本の人びとにも読んでもらえるよう韓日両語で併記したこと(4)在日コリアンについてよく知ってもらうため「在日韓国・朝鮮人の歴史と文化」と題した読み物を付したことの4点を、姜永根編集委員長は強調している。「本誌を子や孫、まだ見ぬ子孫にも読んでもらい、虎瞳会の活動を知ってもらいたい」と期待を述べた。
式典はその後、乾杯の音頭とともに、会食の場に移った。1分間スピーチでは虎瞳会OB・OGの全員が留学時代の思い出や現在の仕事について語り、学生時代にもどったような雰囲気が漂っていた。
虎瞳会は第31代の2001年以降、在日同胞を取り巻く社会情勢やニーズの変化により、休会状態が続いている。虎瞳会の若い世代の会員からは復会を望む声が多く上がっており、今後の活動への期待が高まっている。今回の記念誌出版を契機として、より強力な”自由・正義・真理”の交流の輪が広まっていくことを期待する。
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記念式典後の集合写真。会場はさながら高麗大学の往年の空気感に包まれた