私が出会った在日1世~金石範と4・3事件③ 安部柱司

中国革命に散った朝鮮人部隊の悲劇
日付: 2024年04月09日 12時31分

 4・3事件に関して、金石範は『季刊三千里』誌の第3号、1975年秋号に「済州島4・3武装蜂起について」を寄稿している。文中で以下のように述べている。
「韓国では抹殺された歴史です。いつか朝鮮の南北統一が成ったのちに、いずれは歴史的事実が明らかにされるだろうと思いますが、ただ私としては、済州島が自分の故郷でもあるので、せめて小説を通してでも4・3事件にかかわって行きたいと思っているわけです」
金石範は、そのかかわり方を「それはフィクションだということでもありますが」と断りを入れている。フィクションとは、一に虚構であり、二に作り話だと言うことである。つまり、日本語で受け止めると「うそ」だということになる。

日本語の感覚では法螺話、金石範は法螺吹きということだが、本人はフィクションを法螺話ではなく、真実に迫る手法だと解釈している。それでフィクションだと断ってから、真実に迫っているのだと1945年の日本の歴史から語り始める。
「沖縄陥落後、アメリカ軍の朝鮮上陸に備えて済州島に十万とも二十万ともいわれた日本の軍隊が集結しますが、(後略)」当時の済州島の島民は多くても20万人だろう。そこに沖縄本島防衛を上回る帝国陸軍が配置されたとは考えられない。調べればすぐわかることだが、済州島には四国編成の4個師団を配置していた。帝国陸軍の4個師団は「10万とも20万とも」という数字にならない。それに沖縄失陥後の済州島はがむしゃらに守らなくてはならない意義も喪失していた。
金石範が帝国陸軍の駐留と済州島武装蜂起のかかわりを説くなら、やたらに穴を掘った、硫黄島の戦いを参考にして上陸を迎え撃つために、ここでも陣地を築き、横穴を掘ったと書くべきであった。
そして帝国陸軍が米軍を迎え撃つために構築した陣地が、済州島の武装蜂起を成功させる。1948年4月3日の済州島の武装蜂起を成功だと評価したのは、ウラジオストクに本拠を置く、極東コミンフォルムであった。
極東コミンフォルムは、47年11月に哈爾濱に中国・蒙古・朝鮮・インドネシア・インド・マレー・インドシナの7カ国の共産主義者が300人も集まり、アジアにおける各国の革命運動を助け合うことを協議し、その結果として結成された組織であった。本部はウラジオストクに設けられた。

折から大陸情勢は、毛沢東軍を南へ向かわせていた。大陸の共産革命阻止のため、米軍が済州島にB29用の飛行場を建設し、南下する共産軍を爆撃するとのうわさが広まった。済州島の武装蜂起は、あくまでも「中国革命」を助ける、支援するための戦いであった。大陸を南下する共産軍の先陣は朝鮮人部隊だった。海南島から蒋介石軍を駆逐したのは朝鮮人部隊であったことは広く知られている。
したがって、済州島の武装蜂起の意義は明らかであり、それを隠しているのは金石範などのコミュニストではないだろうか。国際共産主義運動はいわゆる中国革命を優先した。そのための捨て石が南労党の行った幾つもの武装蜂起であり、夥しい朝鮮人の血を流した。その責任を回避する一端に金石範は属している。
「アメリカは南朝鮮全域における革命的なたたかいの根を絶つために、まずゲリラ闘争の震源地である済州島を抑圧する必要があった」と述べているが、それはコミュニストの犯した朝鮮人への罪を回避する言葉ともなっている。


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