「尹錫悦審判」フレームに陥った与党

保守層を裏切った尹政権のツケ
日付: 2024年03月26日 11時40分

 総選挙投票を2週間後に控え、与党が壁にぶつかった。尹大統領と韓東勳は自分たちに決して投票しない全羅道と左派に媚びて、伝統的な支持層を徹底無視した。30%でも確保すべき支持階層を捨てたのだ。
尹錫悦夫婦は「5・18精神」と盧武鉉を尊敬すると言い、左派に親近感を吐露し、韓東勳も「5・18精神」継承を誓ったが、李在明党によって「尹錫悦審判」のフレームにはまった。
尹大統領は選挙運動を韓東勳非常対策委員長に任せず、直接全国を回って政策を発表する選挙運動をしたが逆効果だった。特に自分が起こした「医療大乱」を収拾するため結局、韓東勳が専攻医などに対する処分を無効化する措置を大統領に提案させた。
さらに、民主党は最高委員会の一部権限を総選挙まで李在明代表に委任し「事実上、李在明1人体制」が完成した。李在明党が挙党態勢を整えるのに比べ、与党の韓東勳委員長は相手を見くびり、今回の総選挙を自身の「個人技」で突破できると勘違いした。与党は民心を無視する致命的なミスを犯した。保守層の与党離反は危険線を越えた。
与党「国民の力」から排除された都太佑弁護士に後援金が溢れた。尹大統領と40年来の知己で平統事務処長をした石東炫氏が与党の公認が得られず、予備選にも出られなかったため、自由統一党に入党した。朴槿惠大統領の名誉回復のために7年間、艱難辛苦し耐えて闘争してきた「ウリ共和党」の趙源振代表は、朴槿惠弾劾の先頭に立った与党公認で立候補した権泳臻の選挙区に対抗出馬する。
韓東勲は朴槿惠前大統領を訪ねて、その影響力を利用しようとするが、朴槿惠大統領はもはや影響力がない。朴槿惠が違憲弾劾されたとき、自分のため7年間逃走した右派(高永宙、趙源振、全光焄)を徹底的に裏切ったからだ。側近の弁護士柳栄夏の仲介で尹大統領と和合するのを見て右派が怒り、支持を撤回したからだ。

 

尹大統領の40年来の知己、石東炫が野党から出馬


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